HP開設記念の投稿なので、何かお目出度いことでも書こう。
とはいっても、このご時世なかなかお目出度いことはないもので、○○退陣をお目出度いなどと書いたら「信者」から集中砲火を浴びるだろうし、××で「珪藻土なんとか」を返品して3000円ぐらい返ってきたという程度でお目出度いもないだろう。今のような世の中だからこそお目出度いことを言いたいので色々考えるのだが、どうも何も思いつかない。このような場合はやはり先人の知恵に頼るのが一番だ。古典から気のきいた佳什を引用してお茶を濁すことにしよう。
古典で「お目出度い」のは、何といっても天明狂歌だろう。もちろん権威ある勅撰和歌集には「賀歌」という部立があって、『古今和歌集』に「君が代は千代にましませ」云々という「君が代」の元歌もあったりするが、それを引用して「テンノーヘーカ、バンザーイ!!」などと絶叫する趣味はないので、やはり天明狂歌だ。
かくばかりめでたく見ゆる世の中をうらやましくやのぞく月影
(『万載狂歌集』四方赤良)
四方赤良は天明狂歌の中心的人物、蜀山人大田南畝の若き日の狂名であり、この歌は『拾遺和歌集』藤原高光「法師にならむと思ひたちけるころ、月を見侍りて かくばかり経がたく見ゆる世の中にうらやましくも澄める月かな」を本歌とする。わずかな字句を変えるだけで、厭世的な本歌を逆転させてお目出度い歌にしてしまう、この軽やかな運動神経が、狂歌師四方赤良の真骨頂だ。彼には他にも
あなうなぎいづくの山の妹と背をさかれてのちに身を焦がすかな
金銀のなくて詰まらぬ年の暮れなんとせうぎ(将棋)と頭かく飛車
などという傑作がある。
四方赤良だけではない。安永・天明期の戯作は一般に「お目出度い」感覚に満ち満ちていて、狂歌なら他にも
汗水をながしてならふ剣術のやくにもたたぬ御代ぞめでたき(『徳和歌後万歳集』・元木網)
年の寄る春をめでたいめでたいと祝ふおろかを山も笑ふか(『狂歌才蔵集』・宿屋飯盛)
などというのもある。この「お目出度い」感覚が何に由来するのか興味が沸くが、もう長くなるので最後にもう一首紹介してお開きにしよう。
音に聞き目に実入りよき出来秋は民も豊かに市が栄へた
(『万載狂歌集』折句歌・四方赤良)
設問 本文のなかに何回「めでたい」という語が出てきたか、漢数字で答えよ。
答え 十四回 これだけくり返せばきっと何かお目出度いことが起こるに違いない。