このブログについてのご案内

 受験塾のHPの宣伝ブログであるにもかかわらず、受験情報も勉強法の類も出てこないのを不審に思う人もいるかもしれないので、ここで説明をしておこう。誰も読まないだろうけれど。

 このブログを始めるにあたって決めた基本方針は以下の通りである。

① 自分の好きなこと、気に入ったものについて書く。

 納得できないこと、腹の立つことについて書くのはたやすいが、そのようなものを書いたところで事態が好転するわけでもなく、何の益にもならないどころか、逆に批判している自己に酔って独善に陥る可能性が高い。世に「盗人にも三分の理」というが、たとえ批判されてしかるべき人物であってもそれなりのよんどころない事情があるかもしれず、事情もよくわからないままいい気になって批判して、後で後悔するのも嫌である。それにたとえば近年の文部科学省だの有識者会議だのの迷走ぶりについては、言いたいことが山ほどあるが、それを書きはじめると、書いているうちにどんどん腹が立ってきて、怒りのあまり腹が減ってしまう。詰まらぬことだ。
 自分の気に入ったものについて、その魅力を伝道している方が気が楽である(つまり書いても書かなくてもよい、無駄な文章だから更新も遅くなるのである)。

② 時事問題は扱わない。

 時事問題は、いうまでもなく現在進行中の事象であり、必然的に全貌を捉えることが難しく、どのような結果になるのかも不明である。そのような問題について、わかったような顔をして御託を述べるのは、知性ある人間の取るべき行動ではない(という気がする)。そして何より、一過性の話題などについて駄文を綴るより、アラン・ムーアの『フロム・ヘル』でも読んでいた方がよほど楽しい。

③ 受験情報や勉強法などは話題にしない。

 受験情報などはこんな個人塾より学校や大手予備校のほうが早くて正確だし、勉強法について、タダで教えてあげられる内容はタカが知れている。こちとらも商売なので、全部をブログで公開するわけにもゆかないのである。そして勉強法は、中途半端に一部分だけ教えても役に立たないどころか有害でさえある。今までどれだけ「~すれば成績アップ!」という文句に踊らされている受験生を見てきたことか。

 ということで、今後も好きなことを好きなように(気が向いたときに)書き綴ることと致そう。

髙井ホアン編著『戦前不敬発言大全』『戦前反戦発言大全』(2019)

 『特高月報』というのをご存知だろうか? 戦前~戦中に、民間の思想弾圧に「大活躍」した特別高等警察(特高)の遺した記録だが、今回話のタネとする書の編著者、髙井ホアン氏による紹介を引用しよう。
 「特高警察および憲兵隊は戦前、まさにその職務のために膨大な記録を残した。その中には、共産党関係への膨大な監視記録、小林多喜二が築地警察署で『死亡』した有名な事件、またキリスト教を初めとする宗教者への圧力や、水平社(部落解放同盟)への監視の記録がある。そして、それらに属していない市井の人々を監視した記録もある。(中略)あらゆる物を監視し続けた組織は、落書きから子どもの替え歌まで権力の脅威となるもの全てを弾圧するに際して記録した。それが特高月報であり、憲兵隊記録である。」(『戦前不敬発言大全』まえがき)

 角書きに「戦前ホンネ発言大全」と題された『戦前不敬発言大全』『戦前反戦発言大全』は、おもにその膨大な『特高月報』を博捜し、記録された当時の一般庶民の「不敬」「反戦」発言を集成した労作である。昭和十年代の記録が中心なので、「戦前」というよりむしろ「戦中」としたほうが相応しいが、思想の弾圧が徐々に苛烈を極めていった時期の記録だけに、抑圧された無名の人々のルサンチマンが生々しく示されている(なにしろ権力の側が自分たちにとって都合の悪い発言を記録したものなのだから、資料としても信頼性が高いのではないか)。編著者の言う通り、「そこには、皮肉にも権力の監視を通して、当時を生きた市民の様々な姿が残って」いて、非常に興味深いものがある。
 そこにあるのは、公衆便所の落書きレベルの下品極まる発言から、デマ、根拠不明の陰謀論や意味不明の電波系発言、そして現在の目から見ても至極まっとうな抗議や意見に至るまで。実に多様な「発言」を通覧すると、ほとんどカオスを思わせるものがある。また、当時まだナチス統治下のドイツやスターリン体制下のソ連の内情が知られていなかったことから、ヒトラーやスターリンを支持する発言や落書きがいくつも報告されているのも時代を感じさせる。『特高月報』ではその後「発言」者がどのような処分を受けたかについても記録されているとのことで、この本では確認できる範囲でそれも付記されている(処分の基準が必ずしも一定していないように見えるのも面白い)。編著者高井氏による「コラム」も、当時の言論弾圧に関わる様々な事例(有名な事件から巷間の噂やデマまで)の紹介も、(私などが言うのも何だが)概ね適切で、背景となる時代相の理解に役立つだろう(一つだけ難を言わせてもらうと誤植が目立つ。『特高月報』からの引用部分については原資料の誤字という可能性も考えられるが、氏のコラムにも散見されるので原稿でのミスか、印刷屋のミスか。「虞(おそれ)あり」のはずが「虜あり」となっていたりするのでワープロの変換ミスばかりではなさそうである)。

 品格を重んずる当ブログの方針からして、下品極まる表現をも含む「発言」の一々を引用して紹介できないのはとてもザンネンであるが、中でも胸を衝かれたのは『特高月報』昭和12年11月号所載の次の記事である。

 高松市松島町 戦死者常二妻 柴佳子(22)
 本名は戦死者の妻女にして其の遺子の愛に引かされ左の如き呪詛的通信を友人宛発送したる事実あり。「毎日の様に子供が『お父さんは何時帰るの』と聞かれる時の私の切なさよ。仏壇の前に連れて行き『ケンマンスと拝んでみたら帰るよ』と言ったら毎日の様に仏壇へ行って拝み他所から何か貰ったら直ぐ仏壇に供へて拝み『お父さん帰らないなア』と私に泣きつかれる時の切なさよ。嗚呼片輪でも何でもよい生きてゐてくれさへしたら今度の戦争さへなかったら他所様と同じ様に一家三人が仲良く暮らされるのに戦争があったばかりに坊のお父さんは亡くなったと思へば戦争がうらめしうございます」

 この文面を読む辛さばかりではない。このような私信まで監視され、記録されていた社会の異常さを思うと今更ながら暗澹たる気分になる。特高警察は一々開封して中身を確認していたのだろうか。それともこの手紙を受け取った「友人」か、あるいは何らかの事情で内容を知った者がご注進におよんだのだろうか。いずれにせよ二度とこのような社会にはなってほしくないものだ(高井氏の注記によると、この件についての処分は『特高月報』に記載されていないようだ。さすがに人情として処罰はできなかったのだろうか)。

 近年は「新内閣発足」「内閣改造」とやらの度に閣僚となった御仁が問題発言をする、というのが恒例行事と化している観があるが、彼らは今の時代に感謝すべきかもしれないね。市井の人間の何気ない発言まで監視されている時代に比べれば、政治家の発言が羽毛のごとく軽くなっている時代のほうがまだマシなのかもしれない(それにしても、何で彼らは閣僚などという、私的な会合での発言までも問題視される立場になりたがるのだろうか。まったく理解できない。好きなことを言いたければ、授業で少々放言をしても生徒に「困ったヲジサン」と思われるだけで許してもらえる私のような受験屋にでもなればよいのに)。

ハンナ・アーレント『人間の条件』(1958)

 ハードディスクの中身を整理していたら、十数年前に書いた感想文が出てきた。よい機会(?)なのでブログに載せてしまおう。乞う御高評。

 久しぶりに、スリリングで目の醒めるような読書体験であった。いまさら60年近く前の著作を読んで目が醒めているようでは世話もないが、どうにも仕方がない。今まで政治学になど、興味も何もなかったのだから。
 この、政治学の古典的名著について、なにやら解ったような素人解説をする気はない。大して知識もないのに知ったかぶりをして恥をかく「若気の至り」を繰り返してきたヲジさんは、年齢相応に慎重に(これを「円熟」というべきか)なっているのだよ。

 アーレントは人間の活動力を、生命を維持するための、私的領域に属する「労働」、世界に働きかけて恒久的使用の対象たる工作物を作る「仕事」、そして公的領域において言葉と行為によって自己の実現を図る「活動」の三つに分類する。そして、近代になって、本来は私的領域で営まれ、「活動」の経済的基盤を形成していた(別の言い方をすれば公的領域には現れなかった)「労働」が人間の社会的活動の中心となることによって、ギリシャ~ローマ以来の、ヨーロッパの伝統であった公的領域と私的領域との弁別が為されなくなり、理想や哲学を語る公的領域が失われてしまった過程を辿る。その結果もたらされたのが私的領域の無際限な拡大である(かつては家政つまり私的領域の問題であった「経済問題」が政治の最大の関心事となったのはその一例である)。「人間―労働する動物」が世界を席巻した結果登場したものは何か。かつて言葉―行為によって他者との差異化を志向した人間は、それに優先する価値「労働」によって画一化の波に呑込まれ、かつて世界の中での人間の生活の条件を成した恒久的使用物(職人的製作物)は、労働―生産のメカニズムの要請に随って単なる消費の対象となる。そう、一般に「大衆社会」「消費社会」と呼ばれるものの登場である。

 幼少の頃、両親とも労働組合運動に熱心な家庭(つまりは「アカ」の家。居間に置いてある新聞はもちろん『赤旗』であった)に育った私は、いつの間にか「労働者は正義である」みたいに思い込んだ少年となった。その後いろいろあって、すっかりヒネクレた青年に成長したが、ヒネクレたついでに怠け者でもある私は「労働」が嫌いで、そのため長々と、人の倍ほど大学に通っていた(本気で受取らないように)。その間何となく、「尊い」はずの「労働」が「退屈」「苦痛」という語彙と観念連合を形成することが多いのはなぜか、尊い行為をしているのだから、そこに「悦び」「自己実現」を見出すのが自然だと思えるのに、そういう人が必ずしも多くないのは何故か、などと、いかにも怠け者が自己正当化のために思いつきそうな疑問を抱いていた。以前、それに対する解答の一端をM.ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』が与えてくれたが、『人間の条件』はそれに続いていくつもの示唆を与えてくれた。

 もちろん、年来の(?)疑問について様々に考えるネタを得られただけではない。他者との差異化が目的ではなくなった人間の社会的活動がどういう事態をもたらすか。あるいは人間の生存・生活の条件を規定していた世界が無際限な消費の対象となったことが何を暗示するか。わたしたちの存在を規定する「近代」という時代を考えるのに、非常に刺激的な視点を用意してくれる書物である。

 そしてもう一つ印象的、というかスリリングだったのは、(上述の内容と密接に関連するが)近代という時代のもう一つの特徴としての「世界疎外」の考察である。デカルト、ガリレイ以来の近代科学の発展がもたらしたのは、人間は永遠に世界を理解することなどできないのではないかという根本的な疑問、この逆説的で皮肉な結果であった。この問題について、ガリレイの望遠鏡が「アルキメデスの点」(つまりは本来「地球―世界」の中の存在であるはずの人間が「地球―世界」を対象化し、外部から捉える視点)を用意したこと、それによって地球上の自然状態では絶対に起こりえない現象を実現する技術の登場を呼んだことなどを語りながら考察してゆくのだが、そのダイナミックな展開はなかなか読み応えがある。

 翻訳者志水速雄の解説によれば、本書は「難解」とされるとあるが、私はさして「難解」とも思わなかった。文庫本で500頁くらいあるので、通読するのに1週間ほどかかったが、退屈することもなく、一気に読破できた。これは志水訳が非常に優れていることが大きいだろう。やはり外国ものは翻訳が重要である。自分が原書を読めるように外国語を勉強すればよいという意見もあるが、そこはそれ、ヲジサンは怠け者なので。

 以上が十数年前に書いた作文である。念のために一言しておけば、私自身は「アカ」ではない。今まで観た中で一番好きなアニメ作品が『宇宙海賊キャプテン・ハーロック』なので、あるいはもっと危険な思想の持ち主かもしれないが。

I Shall Be Released

 名曲「Stand by Me」を私がはじめて聴いたのは、中学生の頃だったか。ベン・E・キングのオリジナル・バージョンではなく、ジョン・レノンが『Rock’n’Roll』というカバー・アルバムで唱っていたバージョンだった。ノスタルジックでセンチメンタルなアレンジ、ジョンの切ない歌声で聴かせるこの曲に大いに感動していたためか、数年後シンプルなオリジナル・バージョンを聴いたときには少々肩すかしを喰ったような気がしたものだ(もちろんオリジナル・バージョンも大好きだが)。例えば日本のザ・グルーヴァーズがかつて吉田拓郎の「春だったね」を軽快なロックンロールで演奏して曲の面目を一新したり、見事なアレンジでボブ・ディランの「Simple Twist of Fate」の魅力を引出していたように、オリジナルに負けない、あるいはそれ以上に魅力的なカバー・バージョンも多数ある。そういえばジャズの世界では多数のスタンダード・ナンバーがあり、伝統的にほとんどの演奏家が(自分のオリジナル曲ももちろんあるが)積極的にカバー・バージョンの演奏をして、そこでオリジナリティーを競っている。中にはダイアナ・クラールのようにジャズのスタンダードだけでなくロックやポピュラーのカバーに挑戦して名盤『Wallflower』をものしたケースもある。

 今回の標題「I Shall Be Released」はいうまでもなくボブ・ディランの代表曲のひとつである。ディランは多数の曲がこれまた多数の演奏家によってカバーされており、ディラン自身も自分の曲を、ライブでは最初に発表した「オリジナル」とは全然違うアレンジにして披露したりするので、彼の曲の「カバー・バージョン」は膨大な数に上るのではないか。「I Shall Be Released」も、私のiTunesのライブラリに登録されているものだけでディラン自身によるものが(「オリジナル」を含めて)4バージョン、他のミュージシャンによるカバーが5組10バージョン(同じミュージシャンの複数のライブ・バージョンも含む)もある。これらを、特にディラン以外のカバーを聴き比べるとなかなか面白い。

 ①ザ・バンド:おそらくこの曲のカバーの中でも最も有名なバージョンである。彼らの最初のアルバム『Music from Big Pink』の最後を飾るこの曲は、オルガンとコーラスを前面に出した教会音楽を思わせるようなアレンジで、アルバム全体の出来の良さも相まって非常に感動的な出来の良さである。彼らの解散コンサート『The Last Waltz』でもステージの最後にディランを含む出演ミュージシャン全員が参加して唱っていた。後年発表されたディランの『Bootleg Series』ではディランがこれに近いアレンジで唱っているので、当時一緒に活動していたザ・バンドとディランが色々試してみたアレンジのひとつだったのだろうと思われる。日本のロック・バンドの草分けであるザ・ゴールデン・カップスのカバーは、基本的にこのザ・バンドのアレンジに倣ったものである。

 ②ニーナ・シモン:ディランも唱った「Mr.Bojangles」(この曲はディランのオリジナルではない)で有名な彼女のカバーは、ひとことで言えば(いかにも彼女らしく)ソウルフルでブルージー、女性コーラスとのユニゾンで聴かせるドラマティックなバージョンである。やはり歌い手としての彼女の力量は大したものだ。彼女は他にも「The Times They Are-a-Changing」「Just Like Tom Thumb Blues」「Just Like a Woman」など、ディランの曲を多数唱っている。

 ③スティング:1976年以来、アムネスティ・インターナショナルの資金集めのために開催されている『ザ・シークレット・ポリスマンズ・ボール』という催しがあって、モンティ・パイソンのメンバーやミスター・ビーンなどのコメディアン、そして有名ミュージシャンが多数参加しているのだが、その第3回目(1981年)の参加ミュージシャンが凄かった。スティング、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ボブ・ゲルドフ、フィル・コリンズ、ドノヴァンといった面々で、中でもクラプトンとベックが共演した「Farther on Up the Road」「Crossroads」は二人のギタリストの個性の違いがよくわかって聴きモノであった。そのステージの最後に、スティングが参加ミュージシャン全員を従えて唱ったのが「I Shall Be Released」。レゲエ調のアレンジなのはディランの『At Budokan』のバージョンを参考にしたと思われるが、スティングの、伸びやかな高音が非常によく調和していて、聴いていて爽快な気分になる。

 ④クリッシー・ハインド:ディランのデビュー30周年を記念して開催されたトリビュート・コンサートでこの曲を披露したのがロック姐ちゃんクリッシー・ハインドだ。全身黒で固め、サイコロのイヤリングをぶら下げて唱う彼女の姿はたいそう格好良く、アレンジもダイナミックで「ロック」の魅力に溢れていた。惜しむらくはギタリストを務めたG・E・スミスが遠慮していたのか、ギター・ソロがいまひとつ大人しくて地味だったことだ。下手な遠慮なんかしないでもっとスパークさせればよかったのに。

 同じ曲のカバー、たった4種類でもそれぞれのミュージシャンの個性がよく出ていてとても楽しい。むしろ「オリジナル・バージョン」という比較の対象があるだけ、カバー・バージョンのほうがその演奏家の個性を表現しやすいのではないかとさえ思えてしまう。近年、なぜか「オリジナル信仰」みたいなものが根付いて、何でもかんでも「オリジナル曲」にこだわる向きも多いようだが(これはたぶんビートルズ登場以降の流れではないか)、もっと積極的に古い曲のカバーをしてみるのも良いのではないかな。ビートルズもたくさんの曲をカバーしているし、ディラン自身の言葉にもあるように「良い曲を作りたかったら、古い曲をたくさん聴くことだ」そうだから。だからと言って近年のように古い曲を自分の曲と勘違いし(もしかするとボケているのか)、「作詩作曲ボブ・ディラン」として発表するのも考えものだが。

W・ウィルソン『核兵器をめぐる5つの神話』(2016)/W・ペリー、T・コリーナ『核のボタン』(2020)

 もちろん核兵器などという物騒なものは二度と使われてはならないだろうし、なくなってもらうに越したことはない。しかし、現実にそれを廃絶しようとしても、一筋縄ではゆかないことは周知の事実であろう。何よりも軍事・外交上の強力なカードだと思われているし、軍需産業やそれに連なる政治家や官僚の利権構造など、素人考えで太刀打ちできる体のものではない。そしてそれら核保有擁護論を正当化する根拠となる思想が「核抑止力」論であることもまた常識であろう。事実、私のような素人が「核抑止力」論の尤もらしさに反駁するのは難しい。

 『核兵器をめぐる5つの神話』『核のボタン』はそのような「核抑止力」論に疑問を呈し、「核による抑止」が幻想に過ぎないことを指摘しようとする著作である。『核兵器をめぐる5つの神話』では、「広島・長崎に原爆を投下したことで日本が無条件降伏を受入れた」「水爆の開発によって核兵器は圧倒的な力となった」「核兵器の存在によって決定的な危機に陥らずに済んでいる」などの、核兵器にまつわる「常識」が、当時の資料・データや過去の戦史などを参照しながら、具体的な根拠に欠ける「神話」として一つ一つ解体されてゆく。中でも個人的に一番興味深かったのは、そもそもの発端となった広島・長崎への原爆投下と日本の無条件降伏の関係を論じた「神話1 原爆こそが日本降伏の理由」の条であった。著者は原爆投下前後の日本の閣僚・官僚の動きと日記などの記述から、「新型爆弾」とその被害の大きさは翌日には東京に報じられていたにもかかわらず閣議の一つも開かれていないこと、それ以前から日本の主要都市では空襲が相次いでおり、当時の日本の首脳たちには広島・長崎の死傷者が特別に多いと感じられていなかった可能性が高いこと、日記などに残されている会話や感想の言葉などを見ても広島・長崎への言及が少ないこと、そして緊急に閣議が開かれたタイミングがソ連の対日宣戦布告の直後だったことから見ても、日本の無条件降伏を決定づけたのは原爆投下ではなくソ連の参戦だったと考えたほうが辻褄が合うことを指摘する(当時日本軍は南方から攻めてくるアメリカ軍を想定して部隊を展開しており、北方はきわめて手薄だった)。にもかかわらず「神話」が生まれてしまった要因として、自分の手で戦争を終わらせたことにしたかったアメリカ側の事情と共に、「皇軍」が敗北したのではなく科学力にしてやられたのだ、という物語を必要とした日本の支配層の思惑を指摘している点など、なかなかに見事な解体の腕前であると思う。

 『核のボタン』の共著者ウィリアム・ペリーはカーター政権時の国防次官、クリントン政権時の国防長官で、「核のコントロール」の実際を体験してきた人だけに言うことに説得力がある。彼は核保有国同士が全面核戦争に突入すれば当事国のみならず全世界が破滅するので実際に使用することはできず、使用できない以上大量の核保有が実はまったく「抑止力」となっていないこと(『核兵器をめぐる5つの神話』でも、公式には認めていなかったが核保有が明らかだったイスラエルにシリアなどが攻撃を仕掛けた事実を指摘している)、敵国の先制攻撃に対する報復なら今よりはるかに少ない数の核兵器で足りること、大量の核兵器を開発し、保有維持するためにたいへんな額の国費を無駄にしなければならないことなどを次々と指摘し、核軍縮の必要性を訴える。限定的・局所的な核攻撃なら効果がある、という主張に対しては「相手も限定的・局所的な反撃に留めるだろうという根拠のない思い込みに基づく判断である」と切り返す。やはり頭のよい人は違うねぇ。

 この著作を読んで私が一番驚いたのは、いわゆる「警報下発射」、つまり敵国の核攻撃を感知して警報が発出され、大統領が報復として核ミサイルの発射の是非を判断する際、場合によっては10分足らずの間に人類の運命を左右する決断をしなければならず、しかもその決断は大統領の専権事項で議会はもちろん周囲の人間に一切の相談なしでできるというシステムになっているという話だ。そんな短い時間で冷静に理性的な判断ができるものだろうか。その上過去複数回、アメリカでもソ連でも「誤警報」があったというのだから心胆を寒からしめる。なかには渡り鳥の群をミサイル群と見誤ったケースさえあったというのだからカンベンしてもらいたいね。トランプ政権時に出版された本なので、序章でトランプ大統領がそのような決断を迫られる寸劇(フィクション)が語られているが、いかな尊大なトランプおじさんでも、実際にそんな立場になったらビビって鼻血が出るに違いない。この「警報下発射」システムは今現在も「オン・ステージ」つまり稼働中で、このような危険極まりないシステム(現在ならバイデン爺さんの認○症の妄想で世界が終わるかもしれない)はすぐに廃すべきであると著者は訴える。

 『核のボタン』ではそれ以外にも、過去の「核政策」の成功と失敗の歴史などに触れながら、「核」の現状について様々な現実が語られている。最後の「10大勧告」では核軍縮に向けての具体的な提言がなされているが、それらの実効性についてはド素人の私が云々できる代物ではない。しかし、多事多端な現在、日本でも核武装論を唱える輩がマスコミを賑わすようになっていることを考えると、このような本を読んでおくことも意味のあることだと思う。たまには畑違いの本を読んでみるのも楽しいものだ。

Robert Jr. Lockwood & the Aces 『Blues Live』(1974年)

 その昔、十数年間にわたって「ブルース・フェスティヴァル」という催しが日本で毎年開催されていて、数は多くはないが熱心な日本のブルース・ファンを喜ばせていた。その記念すべき第1回のゲストとして招かれたのがロバート・Jr.ロックウッド&ジ・エイシズである。今回取り上げる『Blues Live』はその際の公演を音源とした、ライヴ・ブルースの名盤である。

 ロバート・Jr.ロックウッドはあの(ロックという音楽の祖父と言っても良い伝説的ブルースマン)ロバート・ジョンソンを義父に持ち、長じてはサニー・ボーイ・ウィリアムスン、B.B.キング、ハウリン・ウルフ、ウィリー・ディクソン、オーティス・スパン、リトル・ウォルター、マディ・ウォーターズなど錚々たるブルースマンと共演してきたシカゴ・ブルースきってのギタリスト(同時にヴォーカリスト)で、50代後半の1972年に発表した初のリーダー・アルバム『Steady Rollin’ Man』が高い評価を受け、それが日本に呼ばれるきっかけとなった。ジ・エイシズはルイス・メイヤーズ(g)、デヴィッド・メイヤーズ(b)、フレッド・ビロウ(ds)の三人で構成された1950~60年代のシカゴを代表するブルース・コンボ。この両者の共演による『Blues Live』は、ブルースという音楽の雰囲気を端的に教えてくれる。

 ミディアム・テンポで快調にドライヴする1曲目「Sweet Home Chicago」、「いかにも歎き歌(ブルース)」といった感じの2曲目「Goin’ Down Slow」や3曲目の「Worried Life Blues」、ラヴ・ソング「Anna Lee」、妙に楽天的な「Feel Alright Again」、義父直伝の弾き語り「Mean Black Spider」、そしてルイス・メイヤーズのリード・ギターが炸裂(本当に上手い)するインストゥルメンタル「Honky Tonk」と様々なタイプのブルース・ナンバーが演奏され、どの曲も出来が良いが、中でも一番聴き応えがあるのは「(They Call It)Stormy Monday」だろう。
 アルバム全体を通してもギターが聴きモノなのだが、この「Stormy Monday」でのギター・プレイは特筆ものである。コード・カッティングで始まるイントロの格好良さ、洒脱で流麗なオブリガート、そしてセンス溢れるソロでの、ルイス・メイヤーズとの絡みから醸し出される緊張感。いったいどうやって弾いているのだろう(この二人による演奏については、かつて黒人音楽の評論家日暮泰文氏が「ギターがたった2本とは信じられない。まるで5~6本あるようだ」と言っていた)。この時点で60近いジジイなのによく集中力が持つものだ。

 ギターの話が多くなってしまったが、張りのあるロックウッドのヴォーカルも実にイイ感じである。60近いジイサンなのにどういうことだろう。やはりアメリカ人は喰っているモノが違うのだろうか。Give Me Chocolate!

 この公演の十数年後に、ロックウッドは再び来日した。東京と京都での公演だったが、当時大学生だった私は喜んでチケットを買って東京の公演を観に行った。ステージに現われたロックウッド翁はもう70代半ばで、ずっと椅子に座ったまま唱い、演奏していた。さすがに『Blues Live』のレベルのパフォーマンスを期待するのは無理というもので、特に声の衰えは隠しようがなかった(東京での公演は、場所は憶えていないが席の指定された劇場で、そのためか観客も全般に大人しく、演奏中ドラマーがしきりに煽っていたがいまひとつ盛り上がりに欠けたのも残念だった。京都はライヴハウスだったらしいので、そちらのほうに行けばまた印象も違っていたかもしれない)。もう10年か15年早く生まれていたら、74年のこのライヴを見られていたかもしれないと思うと残念である。『Blues Live』では(大きな音が聞こえるわけではないが)客席の「熱気」も感じられる。そういう点でも名盤である。

 ブルースやゴスペル、そしてフォーク、ブルーグラスなどの、いわゆるルーツ・ミュージックというのは、(現在のような様々な音響加工技術を用いた音楽とは違って)音も編曲もシンプルで、その趣味を持たない人にとっては単調で退屈、「どの曲も同じに聴こえる」という感想を持つのは必定である。しかし、確実に「その趣味」を持つ人がいて、例えば1950年代にそういう音楽を熱心に聴いていた若者の一人がボブ・ディランであり、ミック・ジャガー、エリック・クラプトン、ロバート・プラントやジミー・ペイジであった。この『Blues Live』を聴いてその格好良さに感応できた人は、「その趣味」の素質があるかもしれない。だからと言って、こういう音楽を熱心に聴けばボブ・ディランやエリック・クラプトンになれるというわけでもないことは、この私を見ればわかるだろうが(泣―Blues!)。

榎村寛之『斎宮―伊勢祭主たちの生きた古代史』(2017年)

 学生の頃、上田秋成の『春雨物語』「天津處女」の中で、帝の目に留まらなかった五節の舞姫について「伊勢・加茂の斎(いつき)の宮のためしに、老いゆくまで籠められはてたまひき」とある部分に付けられた注釈に「伊勢の斎宮、加茂の斎院。天皇即位の時、未婚の王女から選んで、両宮奉祀の役としたもの。普通在位中仕え、独身を通す。」(日本古典文学大系『上田秋成集』中村幸彦注)と書いてあるのを読んで、この「独身を通す」が斎宮・斎院である期間の話なのか、秋成の文章にあるようにその後「老いゆくまで」なのか、疑問に思って調べてみようとしたのだが、何分知識も経験もない素人の悲しさ、何をどう調べればよいのか見当もつかず、そのまま忘れてしまった。

 榎村寛之『斎宮―伊勢斎王たちの生きた古代史』はそんな長年の(?)疑問を解消してくれた一冊である。結論から言えば「独身を通す」のは斎宮・斎院でいる間だけで、天皇の代替わりや身内の不幸などで任を解かれた後は普通の皇族(内親王・女王)として暮らし、帝・親王・王や摂関家の男性に嫁いだりした人もあったそうだ。したがって『春雨物語』の記述は秋成の誤解か作り話ということになる。平安時代以降、斎宮・斎院のみならず内親王の結婚相手が激減し、結果的に元斎宮・斎院も未婚のまま過ごす人が圧倒的に多かった(本書59頁)ことから、そのような都市伝説みたいなものが語られたのかもしれない。

 伊勢の「斎宮」というのは、正確には神に仕える女性「斎王」の居処兼役所で、多数の役人や諸国から租を運搬してくる人々などで賑わう一首の都市のようなものであり、本書『斎宮』は「方格地割」に区切られた都市構造、役所としての組織、経済的基盤、斎王の歴史的淵源や彼女たちの執り行う神事などについてかなり詳しく教えてくれるが、何といっても読んでいて面白いのは第2章「七人のプリンセス」第3章「斎宮年代記(クロニクル)」で紹介される、実在した斎王たちの伝記と逸話である。後に皇后となるも(恐らくは陥れられて)廃后の憂き目に遭い、死後に怨霊として畏れられた井上(いのえ)内親王、『源氏物語』の六条御息所と秋好中宮のモデルとなった「斎宮女御」徽子(よしこ)女王とその娘の規子内親王、神憑りを装って(?)託宣し、斎宮寮頭藤原相通と祭主大中臣輔親を手玉に取ったよしこ(「よし」は女偏に「專」)女王、『伊勢物語』の書名の由来ともされる、あの「狩りの使い」の話のモデル恬子(やすこ)内親王……。古代の斎王とその周囲の人物、時代との関わりが興味深い逸話とともに活写されていて、読者を飽きさせない。しかも朝原内親王の母、酒人内親王や徽子内親王、良子(ながこ)内親王、やすこ(「やす」は女偏に「是」)内親王などについては「美人であった」というウレしい情報付き。まさに至れり尽くせり。

 それはともかくとして、後醍醐の治世を最後に斎王が置かれなくなったというのは示唆的である。もちろん本書172頁で触れているような天皇家の財政的破綻が大きな要因に違いないが、もう一つ、歴史的状況が斎王を必要としなくなったこともあるのではないかと思わせる。ヤマト王権は「複式王権」であった(象徴天皇制を採っている現在の日本もその変種かもしれない)。「複式王権」というのは祭祀を司る王(おもに女性)と行政軍事を統率する王(おもに男性)、という二種の王によって構成される王権であり、伊勢の斎王が祭祀王、天皇(あるいは朝廷や院)が行政軍事を担当する。武家から統治権を奪い返そうとする最後の試みが失敗した南北朝以後、現実の統治は将軍が担い、統治権の実質を失った天皇が祭祀王となれば、伊勢の斎王の存在理由はなくなるだろう。また南朝が偽の三種の神器を北朝に渡したという話にもあるように、この時期、王権の象徴としては「三種の神器」のほうが重視され、斎王の象徴機能はもはや必要なくなっていたのかもしれない。それに南北朝時代では二人の天皇、二つの朝廷。それぞれが斎王を派遣して、北朝の斎王一行と南朝の斎王一行が伊勢路で鉢合わせして大喧嘩の刃傷沙汰、というのではまるで町奴と旗本奴の男伊達競べやチンピラヤクザのショバ争いみたいで絵にもならないし。

ユリア・エブナー『ゴーイング・ダーク』西川美樹訳(2021年)

 副題に「12の過激主義組織潜入ルポ」とあるように、過激主義組織を監視し、彼らへの対処法を研究・アドヴァイスする研究所に所属する著者が、ネオナチ、白人至上主義者、極右、ジハーディスト(イスラム聖戦主義者)、陰謀論者、女性による反フェミニズム団体などの組織に身分を偽って潜入し、彼らの手口――どのように他者を取り込み組織するか、どのような手段を用いて自らの主張を拡散させるか、敵視する個人や団体をどうやって攻撃するか、など――を分析するルポルタージュである。それにしても、こんな言い方をするとフェミニズム論者に叱られてしまうかもしれないが、女性の身でありながら、しかも場合によっては本人のみならず周囲の人々も様々な攻撃の標的にされる可能性もあるのに、そのようなアブない組織に単身乗りこんで隠密調査をするとは、いくら仕事とはいえその勇気と覚悟に感服するばかりである。私のような惰弱な人間には及びもつかないことというしかない(もちろんこのような調査方法の正当性については議論の分かれるところであろうが。著者も「あとがき」のなかでその点の葛藤について触れている)。

 内容は全7パートで構成されているが、第1パートから第6パートまでが「潜入ルポ」で、各パート毎に2つの組織が取り上げられていて、計「12の過激組織」ということになる。パート1から順番に「新人勧誘」「社会化」「コミュニケーション」「ネットワーキング」「動員」「攻撃」というタイトルが付いていて、この並びを見ればわかるように、順番に読んでゆくことで、これら過激主義組織の手口の全体像(もちろんすべての組織がまったく同一ということではない)が見えてくるという仕掛である。

 この著作を読みながら、私がふと思い出したのは2020年に東京大学が入学試験の本文として出題した小坂井敏晶『神の亡霊』の一節である。この文章で筆者小坂井氏は機会均等の自由競争に基づく能力主義が実は社会的格差を固定化する「出来レース」に過ぎないこと、能力主義が前提とする自律的主体の自己責任論には根拠がなく、格差を正当化する機能を果たしていることを指摘した上でこう言う。

 「身分制が打倒されて近代になり、不平等が緩和されたにもかかわらず、さらなる平等化の必要が叫ばれるのは何故か。人間は常に他者と自分を比較しながら生きる。そして比較は必然的に優劣をつける。民主主義社会では人間に本質的な差異はないとされる。だからこそ人はお互いに比べあい、小さな格差に悩む。そして自らの劣等性を否認するために、社会の不公平を糾弾する。(外部〉(=人間の人格や才能を決定する遺伝的要素や社会環境:引用者注)を消し去り、優劣の根拠を個人の〈内部〉に押し込めようと謀る時、必然的に起こる防衛反応だ。」「自由に選択した人生だから自己責任が問われるのではない。逆だ。格差を正当化する必要があるから、人間は自由だと社会が宣言する。努力しない者の不幸は自業自得だと宣告する。近代は人間に自由と平等をもたらしたのではない。不平等を隠蔽し、正当化する論理が変わっただけだ。」

 どのような社会にも格差は存在するだろう。その格差の原因を、社会システムを統御する上位構造(価値観)にまで遡及して考えることができない場合、私たちの多くは自己の社会的立場について、それを自己の才能のなさや努力不足(あるいは最近の若者言葉の「親ガチャ」に象徴されるように不可避の運命)として心中の不満や不安と折り合いをつけて生きてゆくのだが、その不満(不安)は、例えば本書『ゴーイング・ダーク』パート2で紹介される反フェミニズムの女性団体に惹かれてゆく女性たちのように自己否定に向かう場合もあるだろうし、逆に他に紹介されている多数の組織の人物のように、目に付くところにいる「異者」――移民、有色人種、女性、LGBT、既得権益層(エスタブリッシュメント)など――に対する憎悪に転化する場合もあるだろう。また根拠のない陰謀論に取り憑かれる場合もあるだろう(それにしても『シオンの賢者の議定書』や「フリーメイソン」、「イルミナティ」、最近では「ディープステート」などの陰謀論は、キリスト教の「予定説」のタチの悪いパロディに思えてならない。世界が超越的存在の計画に従って動いているという点、そして論理的証明もできなければ反証もできないという点で両者はよく似ている)。『ゴーイング・ダーク』はそのような人々が特段に変わった人物というわけでもなく、むしろ私たちもちょっとしたきっかけで過激主義に取り込まれてしまう、あるいは知らないうちに協力してしまう可能性があることも教えてくれる。特に最終パート「未来は暗いか」第13章「最初はすべてうまくいっていた」は読み応えがあった。例えばフェイスブックやツイッターなどのSNSプラットフォームは、当初の目的としては人々を「繋げる」ことをその目的(機能)としていたわけだが、過激主義組織に利用されたことで逆に人々を分断してしまう結果をもたらしたこと、事態の重大さに気づいたSNSプラットフォームはAIテクノロジーを用いて不適切なコンテンツを削除しているが、そのAIテクノロジーも「完璧にはほど遠いものだ。ヘイトスピーチや過激思想は文脈から判断するほかないものも少なくないため、AIもなかなか特定できない。有害なコンテンツが、それを報じるBBCのレポーターによってシェアされたり、それと闘う活動家によって、あるいはそれを揶揄する風刺家によってシェアされたりしても、機械にはおそらく見当もつかない。場合によっては、侮辱や脅迫の言葉でも、誰かを標的としたものではなく自分自身に向けられたものということもありうる」(359頁)。つまり今あなたがお読みになっているこの駄文も、用いられている語彙を考えれば、AIによって「不適切なコンテンツ」と判定される可能性があり、またそうでなくともこのようなことを話題にするだけで(あるいはそういう記事にアクセスするだけで)、過激主義の宣伝となってしまう可能性もある。そして言うまでもなく、AIなどによる記事のチェックが過剰な検閲を導いてしまう恐れもある(すでに強権的支配を事とする国では行なわれているようだ。どことは言わないが)。

 最後の2章は今後予想される過激主義団体の動きと、それに対処する方策が提案されているが、その当否について私には判断できない(これは誰でもそうだろうが)。とりあえず現代の社会を考える上で、非常に参考になる一冊であった。

『案内手本通人蔵』(1779) あるいは「紅旗征戎は吾が事に非ず」

 たまたま昔の探偵映画を再見して、立て続けに見たのが『不連続殺人事件』(1977)と『犬神家の一族』(1976)であった。『不連続殺人事件』は坂口安吾原作で曾根中生監督、『犬神家の一族』は横溝正史原作で市川崑監督、名探偵役はそれぞれ小坂一也と石坂浩二と、いずれも有名な作品だが、この二つ、いくつかの共通点がある。怪しげな登場人物と複雑な人間関係、趣向を凝らしたトリック、それを見事に解き明かす名探偵という、探偵小説の定番を履んでいることはいうまでもないが、両作とも真犯人が予定の殺人をすべて実行した後に謎が解明されること(つまり犯人は目的を果たしてしまうわけだ)、最後の殺人がなされる(つまりこれで目的達成)とき名探偵が不在(証拠捜しに別の土地に出かけている)で、戻ってきてから最後の殺人が実行されたことを知って自分の不敏を恥じること、さらに真相の露見を知った真犯人が衆人環視の中、隙を見て服毒死し、名探偵が「しまった」と叫ぶこと。これでは何のための名探偵かわからないね、と言われてしまいそうだが、考えてみれば事件を予見してそれを防ぐために果敢に行動し、見事犯罪を未然に防いだ、というのではまるで『案内手本通人蔵(あなでほんつうじんぐら)』になってしまって、少なくともサスペンスにはならないだろう。

 『案内手本通人蔵』というのは安永八年(1779)刊行の黄表紙で、題名からもわかるとおり『仮名手本忠臣蔵』のパロディである。作者は朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ。これはもちろん戯号で、ご本人は秋田藩留守居役という立派な身分の武士)。どんな話かというと、『忠臣蔵』の悲劇は塩冶判官、といっても何のことだかわからない人のために解説すると、江戸時代は、同時代の事件をそのままネタにしては幕府の禁に触れるので『忠臣蔵』は室町時代を舞台としている。したがって登場人物も史実とは別の人物が宛てられており、浅野内匠頭は塩冶判官、吉良上野介は足利尊氏の執事高師直、大石内蔵助は大星由良之助となっている。その塩冶判官が通(つう。人情や社会の機微に通じていること)でなかったことが悲劇の原因として、序文に曰く、

 「仮名手本忠臣蔵を按ずるに、大星が忠義抜群なりといえども、もとは塩冶の不通により、かつ初めの賄(まいない)の薄きより起れり。これ世の中の案内(あな)を知らぬ故なり。されば世の中の案内を知るを通といふ。世の人みな通なれば、世の中に闘諍(いざこざ)なく、ますます太平なり。」

 つまり大石を初めとする四十七士の忠義は抜群でも、もとは浅野内匠頭が通でなく、また世間知らずにも吉良上野介への賄賂が少なかったことによる悲劇であり、世間の人がみな通なら、つまらぬ争いもなく太平だ、という堂々たる思想のもと、『忠臣蔵』の名場面を一々パロディにしてゆくのである。たとえば塩冶判官(内匠頭)が師直(上野介)に額傷をつける場面を、お軽勘平が逢引していちゃついていたはずみに簪を落とし(『忠臣蔵』で、お軽が簪を落とすのは七段目「祇園一力茶屋」の場)、それで師直の額に傷がついたが、師直も通人なので偶然瓦が落ちて額傷がついたことにして二人をかばってやる。塩冶判官はそれを申し訳なく思って二人を勘当するという話に改変し、そこで登場人物の一人に「まだ七段目でもないに簪を落とすとは粗相なことだ」と言わせたりする。つまりこれといった事件も起らず、したがって何の悲劇もない。また物語の序段で饗応を受ける足利直義について、

 「直義公旦那株ゆゑ、通といふほどのことはましまさねども、無理通(=通人ぶること)のこじつけにて悪しき事もただよしただよしとばかり仰せらるるかぶなれば、足利直義とは申すとかや」

と愚にもつかない駄洒落をかます。そして最後に「気を通に持て」という尤もらしい格言。

 どうです。くだらない話でしょう。朋誠堂喜三二には他にも、民話「かちかち山」の後日譚として、兎にひどい目に遭った狸の息子が兎を親の敵と付け狙う『親敵討腹鼓(おやのかたきうてやはらつづみ)』というのがあって、これもパロディ満載の作品なのだが、苦労の甲斐あって狸の息子は兎を追い詰め、ズンばらりと一刀両断、見事本懐を遂げる。斬られた兎は黒い鳥と白い鳥になって飛んでゆきました、という話で、身分あるお武家様が、このどうでもよい駄洒落をオチにするためにわざわざ作品を書く。それはそれは良い時代でありました。

Eric Clapton『There’s One in Every Crowd(安息の地を求めて)』(1975)

 「ギターの神様」エリック・クラプトンの輝かしいキャリアの中でも、特別に地味なアルバムである。ウィキペディアの記載を見ても、「前作『461 オーシャン・ブールヴァード』及びシングル「アイ・ショット・ザ・シェリフ」の成功を受けて、再びレゲエを取り入れたアルバム。レコーディングは主にジャマイカで行われ、「オポジット」のみマイアミ録音。「揺れるチャリオット」は、黒人霊歌の曲にレゲエのアレンジを施したもの。」と実に素っ気ない紹介しかされていない。

 確かに『461オーシャン・ブールヴァード』は高い評価を受け、ボブ・マーリーの曲をカヴァーしたシングル「アイ・ショット・ザ・シェリフ」は大ヒットしたし、次作の『ノー・リーズン・トゥ・クライ』のように「ボブ・ディランやザ・バンドと共演!」と世間の目を惹くセールス・ポイントがあるわけでもなく、その次の『スロー・ハンド』の「コカイン」「ワンダフル・トゥナイト」みたいにステージでの定番となる曲もない。だからまるで「重要な作品ではありません」と言わんばかりの紹介となるのも無理はないが、そんなに捨てたものではないと思うのだよ。ヲヂさんは。

 レゲエ色が強い、ということになっているものの、それが前面に出ているのは2曲目「Swing Low,Sweet Chariot(揺れるチャリオット)」3曲目「Little Rachel」4曲目「Don’t Blame Me」だけである。他のアルバムに較べて多いとはいえ、アルバム全体の基調がレゲエというほどでもない。もう一つ、このアルバムの際立った特徴はゴスペル(黒人霊歌・スピリチュアル)の影響である。オープニングの「We’ve Been Told(Jesus Is Coming Soon)」からしてタイトル通りのゴスペルナンバーであり、続く「Swing Low,Sweet Chariot」、そして6曲目の「Singin’ the Blues」もゴスペルっぽさを感じさせる曲だ。現在とは違ってこの当時、レゲエは世界中から注目された目新しい「民族音楽」であり、例えばストーンズも『イッツ・オンリー・ロックンロール』の「Fingerprint File」を皮切りに、80年代初頭くらいまでアルバムに必ずといっていいほどレゲエ・ナンバーを収録していた。クラプトンもその例に漏れずレゲエに注目していたのは、このアルバムの収録曲を見れば明白だが、デラニー&ボニーやデュアン・オールマンなどとの交流でアメリカ南部の音楽を「再発見」していたクラプトンは、このアルバムでゴスペルとの接近をも試みたのだと思われる。

 もちろん、ギタリストとしてのクラプトンも健在で、エルモア・ジェイムスのカヴァー「The Sky Is Crying」、自作の「Better Make It Through Today」の2曲で渋くてシビれる演奏を聞かせてくれている(「The Sky Is Crying」ではスライド・ギター)。

 ビートルズの『サージェント・ペパーズ』あたりから定番となった、転調を用いて2つの曲を組み合わせたような構成の「Pretty Blue Eyes」「High」を経て、最後の曲「Opposites」は言葉遊びを歌詞とした曲で、途中「Layla」のリフが聴こえてきたり、エンディングで「蛍の光」のメロディが流れたり(イギリスではこの曲、新年を迎えたお祝いに演奏する曲であると教わったのは高校生の頃で、教えてくれたのはこのアルバムのライナー・ノーツだった。勉強になるなあ)と、遊び心が楽しい。この遊びに象徴されるように、アルバムは全体にゆったりとした余裕を感じさせる出来栄えで、『There’s One in Every Crowd』……どんな群衆にもそんなヤツがいる……等身大のクラプトンはもうすでに「安息の地」に辿り着いているようだ。ああ、また邦題にケチをつけてしまった。

オルタブックス『天皇の伝説』(1997)

 何のきっかけで読んだのかもう憶えていないが、25年ほど前に読んだ「楽しい本」が『天皇の伝説』というムックだ。「オルタブックス」という叢書の一冊で、巻末の宣伝を見ると「オモチャとドラッグと電脳の世紀末 オルタブックス創刊!!」という見出しの下に『90年代非本流文化の全貌を示す、リンクするキーワード事典!オルタカルチャー日本版』とか『警察の警察による警察のための交通取り締まり』『Super Cub愛蔵版』などのタイトルが並んでいる。現在でもネットで検索すると『天皇の伝説』とともに『ゴミ投資家のためのインターネット株式投資入門』だの『スマートドラッグ生活入門』だの『有害図書の世界』などといった書名が引っかかる(現在ではもちろんほとんどが品切れで注文不可)。この「オルタブックス」というのは、要するに当時流行っていたサブカルチャー分野の叢書らしい。

 『天皇の伝説』は、いかにもそういう叢書の一巻らしく、アヤシい面白さに溢れた本である。収録されている記事のタイトルだけを並べてみても、「パート1 教科書が教えない歴史」には「日本近代史最大のタブー 明治天皇は二人いた!」「大室天皇家訪問記」、「パート2 妖しい人たち」には「明治天皇外戚 中山家の人々」「マンガ〝華〟の女たち」「サギの宮と呼ばれた女 〝御落胤界のスーパースター〟増田きぬの戦後史」、「パート3 御落胤の人生」には「大本教教祖・出口王仁三郎『御落胤』伝説」「『熊沢天皇』の末裔を訪ねて」などなど、以下は煩雑なので省略するが、私の大好きなヨタ話(馬鹿にしているわけではないよ。「歴史的事実」の物語性=虚構性は重々承知)満載の本なのである。中でも思い出深いのは、皇室の関係者を騙って詐欺を繰り返す人物を扱った「パート2 妖しい人たち」のなかで紹介される自称明治天皇外戚のNという人物で、いくつもの詐欺事件に関わっていたらしい。当人と周囲の人物へのインタビューも載っているのだが、辻褄の合わないことを語りつづけるご当人はもとより、支離滅裂な放言を繰り返す僧侶(?)が登場したり、第七十九代目であるような宣伝をしていながら自分が始めた新興宗教であることをあっさり認めてしまう教祖が得々と新興宗教経営の極意を喋ったりと実に楽しい読物だった。当時授業中のネタの一つとして、そのような人物の存在を生徒に語ったところ、その週の内にこのN氏、警察に検挙されてニュースになっていた。翌週の授業の際、生徒が感心した顔で「本当だったんですね」と言っていた。懐かしい思い出だ。

 1997年出版のこの本が売れたのかどうか、わたしは知らない。ただ数年後に版元も変わって、オンデマンド出版で再版されていたが、なんとパート2がすべて削除され、「パート4 不思議な古代史」「パート5 天皇の伝説」に収載されていた記事もその過半が削除された、半分以下の厚さの本になっていた。パート2が削除されたのは、あるいはN氏の逮捕などの影響があったのかもしれないが、他の記事の削除は何が原因だったのだろうか。再販にあたって各記事の筆者の許可が得られなかったのであろうか。削除された記事の内容を考えると、あるいは何か見えない力が……(以下自粛)。