歴史上の与太話

 HPを開設して以来、まだ1件の問い合わせも来ていないのだが、それでも問い合わせが来た場合のため、利用規約だのプライバシーポリシーだの塾のご案内だのの文書作成で忙殺されて、ブログの更新が遅れてしまった。

 そういえば昨日大河ドラマが最終回を迎えたようだ。「迎えたようだ」というのは観ていなかったからで、最近は大河ドラマに限らず、テレビの連続ドラマの類はとんと観ていない。毎週同じ時間にテレビを観られるわけでもなく、また録画までして観たいとも思わないからね。評判の高い作品なら、気が向いたときにTSUTAYAで借りて観ればよい。

 そんな大河ドラマを玉三郎と染谷将太君目当てで(長谷川博己君、申し訳ない!)毎週観ていた家人が、最終回を観た後に突然「テンカイセツを採ったんだ」と言いだした。テンカイセツ? 何のことかわからず問い返してみたら、何のことはない。明智光秀は実は山崎の合戦で討たれてはおらず、後に南光坊天海という僧侶となって初期の江戸幕府に大きな影響力を揮ったという歴史上よくある与太話のことだった。つまり「天海説」。いうまでもなく源義経がチンギス・ハーンになったとか、東北地方にイエス・キリストの足跡が遺っているなどという話と同様、まともな歴史家が相手にするものではないが、この手の他愛のない与太話はいいねえ。悲運の武将への哀惜が感じられて。もちろんテレビドラマがそのような「説」を採ったからといって、「史実ではない」などと怒って投書したりツイートする必要もない。エンタテインメントなんだから。少なくとも今のところ、『シオンの賢者の議定書』みたいに、たいへんな害悪をもたらす可能性はない。

 日本の歴史上最大の与太話は何だろう。先日読んだ中公新書『椿井文書―日本最大の偽文書』(馬部隆弘著)で、江戸時代の椿井政隆という人物が、実に巧妙に大量の偽文書を作成し、それが現在に至るまで学校教材や市町村史に活用されてきたことが紹介されていたが、これなんかはかなり上位にランキングされる与太話ではないか。歴史上の大事件というわけではないけれど。それにしてもどうしてこれだけの偽文書を長期間にわたって作り続けたのか、その情熱には恐れ入るね。椿井文書を資料として市区町村史を編纂した役所の担当者が困惑しているというニュースにもなって、お気の毒としかいいようがないが、それでも椿井政隆に対する怒りが湧くかというとそうでもない。彼は(もちろん報酬目的であったのだろうが)各地域の人々の願望に応える形で次々と偽文書を作り、それと過去に作った偽文書の内容と辻褄を合わせるために結果的に大量の偽文書を遺すことになったらしく、そこに彼自身の名誉欲や政治的野心の類は見られないからだ。過去のイタズラに引きずられてどんどんと深みにはまってしまったかのようにも思えてしまう。だいたい歴史の改竄などというのは自己の権力の正当化とか、過去の蛮行の糊塗を目的とした情けないものが多いが、それに較べれば椿井政隆などカワイイものだ。

 やたらとセンセーショナルでスケールが大きい(?)与太話はやはり熊沢寛道だろう。戦後のGHQ体制下で突如マスコミの寵児となった「熊沢天皇」だ。後南朝の後裔である自分こそが正統の天皇である、今の天皇はニセモノである、即刻退位すべしと主張してマスコミに面白おかしく取り上げられた。彼は戦前からそのような主張を要人に上申していたらしい(もちろん相手にされなかった)から、どうやら本気でそう思っていたようだ。何というか、後南朝なんて一体何世紀前の話なのか。20世紀になってそのような話を本気で信じているというのも……と思うが、21世紀になっても自分の血筋を溯れば○○天皇だ、などと自慢する輩がいるのだから、それほど驚くべきことでもないかもしれない。でもそんな風に血筋を溯ってばかりいたら、日本中天皇だらけになってしまうのではないか。他人事ながら心配だ。

 しまった。若い頃見た思い出深い大河ドラマの話をするつもりだったのに、話が脱線してしまった。その話はまたの機会に。

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