私はあまり漫画を読まない。また流行っているから飛びつくという種類の人間でもないので、話題の『鬼滅の~』とやらが『どろろ』とどう違うのかも知らないし、最近の『ワンピース』『進撃の巨人』『キングダム』など、題名しか知らない。かといって漫画を嫌っているわけでもなく、まったく読まないということでもない。先年、蔵書のほとんどをPDFファイル化(いわゆる「自炊」というやつ)した際、漫画本が二、三百冊出てきたので、少しは読んでいるし、子どもの頃に流行った『あしたのジョー』『巨人の星』『がきデカ』『ドカベン』なども一通り知っている(歳がバレるね)。とはいえ、やはり詳しいわけではない。四十代以後は信頼できる人が褒めている作品を時々読むばかりである。そうやって読んだのがたとえば『攻殻機動隊』であり、『沈黙の艦隊』『ザ・ワールド・イズ・マイン』である。どれも非常におもしろかった(それにしても最近の作品がないね)。そのような私が、先日数年ぶりに再読して性懲りもなく再び感心してしまった漫画(「コミックス」というべきか)がアラン・ムーア『フロム・ヘル』である。
時は1888年のロンドン、王子の火遊びに端を発して、さまざまな立場の人間のさまざまな思惑が絡み合い、五人の娼婦が次々と惨殺される……。そう、史上最も有名な連続殺人鬼「切り裂きジャック」の事件を素材とした作品である。ただし、よくある「犯人捜し」を趣旨とした著作ではない。事件の犯人や動機の大枠については、スティーブン・ナイトという人の『切り裂きジャック最終結論』(成甲書房:Jack the Ripper;The Find Solution 1977)に依っているが、ムーアはナイトの説を支持しているというより、物語を構想するのに都合のよい枠組として利用したということのようだ。
丁寧に施された伏線、重層的で緻密な構成の物語叙述、神話的・魔術的な認識(フリーメイソンが重要な役回りを演ずる)を通じて、ムーアは十九世紀末のイングランド社会のみならず、ローマ帝国がブリテン島を支配する以前の時代から二十世紀に至るヨーロッパの歴史を、文明の物語を、圧倒的な迫力で幻視する。ムーアは巻末に附された「注解」の中でこう述べる。
「私には、多くの点で1880年代に20世紀の種がまかれたように思われる。政治とテクノロジーだけではなく、芸術と哲学の分野でも。1880年代が20世紀の本質をはらんでいたという考え。そしてそれと同時にホワイトチャペル連続殺人こそが1880年代の本質をとらえていたという思いが本書の中心的アイデアとなっている。」(柳下毅一郎訳)
いうまでもなく、十九世紀はヨーロッパ文明のひとつの到達点であり、続く「殺戮の世紀」二十世紀の序章とも言われるホワイトチャペル連続殺人事件を結節点として、その後のヨーロッパの衰退をも包み込んだ宇宙を表現しようとしたかのようだ(「議論の余地なく神々が存在する場所、それは我らの精神の中だ」――『フロム・ヘル』第四章、ウィリアム・ガルの言葉)。再読三読に耐える、紛うことなき傑作である。
訳者の柳下毅一郎(因みに、この人物は私がもっとも信頼する映画評論家である)によれば、アラン・ムーアは「欧米コミック界でもっとも尊敬され、もっとも恐れられている天才」なのだそうだ。この人の作品では他に『V・フォー・ヴェンデッタ』『ウォッチメン』も読んだ。いずれも非常におもしろかったが、やはり『フロム・ヘル』が一番だ。ただし、映画化作品はむしろ清々しいほどにこの作品の長所を削ぎ落とした、独自性に溢れる凡作なのが残念である。