三隅研次『眠狂四郎無頼剣』伊藤大輔脚本(1966)

 田村正和の訃報を聞いて思い出した作品が二つあって、今回はそれを紹介したいと思う。但し、いずれも田村正和の出演作品ではない。
 まず一本目は『眠狂四郎無頼剣』。田村正和も1970年代以降『眠狂四郎』を演じていたが、「狂四郎役者」はやはり何といっても市川雷蔵だ。雷蔵狂四郎の孤独と、冷たい色気は、他の役者にはない魅力である。しかし、十数本ある雷蔵狂四郎シリーズの中で、今回のネタ『無頼剣』は異色である。

 この作品、従前からの「眠狂四郎」ファンの間ではかなり評判が悪い。それもそのはず、シリーズの他の作品(もちろん原作も)ではニヒリストの狂四郎が、この作品ではあろうことかモラリストとして登場するのだから。原作者の柴田錬三郎が激怒したというのも無理からぬ話だ。これは、脚本を担当した、戦前から活躍する大監督伊藤大輔が、「眠狂四郎」という枠組を借りて自らの思いを吐露した作品なのである。
 実質的な主人公は天知茂扮する「愛染」と名乗る浪人で、彼は狂四郎の円月殺法と同じ剣の使い手である。大塩中斎の薫陶を受け、貧者の救済など社会正義の実現を目指していた彼は、大塩の乱の敗北などを経て幕府要路の人物の暗殺を企てるテロリストとなり、悪辣な手段で石油の利権を貪る豪商を脅迫している。ストーリーは面倒なのでここで紹介はしない(藤村志保扮する角兵衛獅子の芸人一行が絡んできたり、『蘆屋道満大内鑑』を元ネタにした謎掛けなどもあって結構複雑)が、この天知茂が素晴らしい。色気とユーモアを感じさせる演技で、主演の市川雷蔵を完全に喰っている。

 私の世代にとって天知茂といえば、何といってもTVドラマ『非情のライセンス』の会田刑事であり、またテレビ朝日の『江戸川乱歩シリーズ』の明智小五郎である。若い頃は新東宝で中川信夫監督の『憲兵と幽霊』やら『地獄』やら『東海道四谷怪談』やらの、アクの強い役で勇名を馳せた人物である(それにしても『地獄』での演技はかなり大袈裟な感じがする。セットや特撮がチャチであるからかも知れないが)。なかでも『憲兵と幽霊』の悪役波島や石井輝男監督の『黄線地帯』の殺し屋役など、今でも強い印象が残っている。その彼が、やむにやまれずにテロに奔ってしまう浪人の哀しみを滲ませて狂四郎と対峙するのである。最後の手段として江戸市民を巻き添えにしたテロを計画するところまで思い詰めている天知愛染を前にして、これではさしもの雷蔵狂四郎も似合わないモラリストを演じてしまうのも仕方がない。
 テロリスト愛染は、単に目的に凝り固まった平板なキャラクターとして登場するのではない。自分の秘密を探ろうとする女(藤村志保)に対しては警告を与えながらも紳士的に応対するし、脅迫相手の豪商の、頑是ない娘にはあくまでも優しく、死の間際まで彼女との約束を果たそうとする。お決まりのように狂四郎の剣に斃れた愛染が、末期の願いとして狂四郎に託そうとする、豪商の娘に贈る約束だった手製の竹人形が、事切れた彼の手からこぼれ、屋根の上を滑り落ちてゆくシーンは、その幼い娘が彼の思いを理解する日など永遠に来ないだろうことをも暗示しながら、この上なく哀切である(三隅研次の演出が素晴らしい)。戦前、まだ露骨な統制の対象とならなかった時代の映画屋たちのアナーキーな雰囲気と、失敗に終わった、つまり結局は国家権力システムの好餌となってしまったテロの実行者たちの「真情」――かつて石川啄木が「われは知る/テロリストの かなしき心を」(『呼子と口笛』)と詠った「心」。おそらく伊藤大輔はそれらの「記憶」を胸にこの作品の脚本を練ったのであろうと、勝手に想像する。