W・ウィルソン『核兵器をめぐる5つの神話』(2016)/W・ペリー、T・コリーナ『核のボタン』(2020)

 もちろん核兵器などという物騒なものは二度と使われてはならないだろうし、なくなってもらうに越したことはない。しかし、現実にそれを廃絶しようとしても、一筋縄ではゆかないことは周知の事実であろう。何よりも軍事・外交上の強力なカードだと思われているし、軍需産業やそれに連なる政治家や官僚の利権構造など、素人考えで太刀打ちできる体のものではない。そしてそれら核保有擁護論を正当化する根拠となる思想が「核抑止力」論であることもまた常識であろう。事実、私のような素人が「核抑止力」論の尤もらしさに反駁するのは難しい。

 『核兵器をめぐる5つの神話』『核のボタン』はそのような「核抑止力」論に疑問を呈し、「核による抑止」が幻想に過ぎないことを指摘しようとする著作である。『核兵器をめぐる5つの神話』では、「広島・長崎に原爆を投下したことで日本が無条件降伏を受入れた」「水爆の開発によって核兵器は圧倒的な力となった」「核兵器の存在によって決定的な危機に陥らずに済んでいる」などの、核兵器にまつわる「常識」が、当時の資料・データや過去の戦史などを参照しながら、具体的な根拠に欠ける「神話」として一つ一つ解体されてゆく。中でも個人的に一番興味深かったのは、そもそもの発端となった広島・長崎への原爆投下と日本の無条件降伏の関係を論じた「神話1 原爆こそが日本降伏の理由」の条であった。著者は原爆投下前後の日本の閣僚・官僚の動きと日記などの記述から、「新型爆弾」とその被害の大きさは翌日には東京に報じられていたにもかかわらず閣議の一つも開かれていないこと、それ以前から日本の主要都市では空襲が相次いでおり、当時の日本の首脳たちには広島・長崎の死傷者が特別に多いと感じられていなかった可能性が高いこと、日記などに残されている会話や感想の言葉などを見ても広島・長崎への言及が少ないこと、そして緊急に閣議が開かれたタイミングがソ連の対日宣戦布告の直後だったことから見ても、日本の無条件降伏を決定づけたのは原爆投下ではなくソ連の参戦だったと考えたほうが辻褄が合うことを指摘する(当時日本軍は南方から攻めてくるアメリカ軍を想定して部隊を展開しており、北方はきわめて手薄だった)。にもかかわらず「神話」が生まれてしまった要因として、自分の手で戦争を終わらせたことにしたかったアメリカ側の事情と共に、「皇軍」が敗北したのではなく科学力にしてやられたのだ、という物語を必要とした日本の支配層の思惑を指摘している点など、なかなかに見事な解体の腕前であると思う。

 『核のボタン』の共著者ウィリアム・ペリーはカーター政権時の国防次官、クリントン政権時の国防長官で、「核のコントロール」の実際を体験してきた人だけに言うことに説得力がある。彼は核保有国同士が全面核戦争に突入すれば当事国のみならず全世界が破滅するので実際に使用することはできず、使用できない以上大量の核保有が実はまったく「抑止力」となっていないこと(『核兵器をめぐる5つの神話』でも、公式には認めていなかったが核保有が明らかだったイスラエルにシリアなどが攻撃を仕掛けた事実を指摘している)、敵国の先制攻撃に対する報復なら今よりはるかに少ない数の核兵器で足りること、大量の核兵器を開発し、保有維持するためにたいへんな額の国費を無駄にしなければならないことなどを次々と指摘し、核軍縮の必要性を訴える。限定的・局所的な核攻撃なら効果がある、という主張に対しては「相手も限定的・局所的な反撃に留めるだろうという根拠のない思い込みに基づく判断である」と切り返す。やはり頭のよい人は違うねぇ。

 この著作を読んで私が一番驚いたのは、いわゆる「警報下発射」、つまり敵国の核攻撃を感知して警報が発出され、大統領が報復として核ミサイルの発射の是非を判断する際、場合によっては10分足らずの間に人類の運命を左右する決断をしなければならず、しかもその決断は大統領の専権事項で議会はもちろん周囲の人間に一切の相談なしでできるというシステムになっているという話だ。そんな短い時間で冷静に理性的な判断ができるものだろうか。その上過去複数回、アメリカでもソ連でも「誤警報」があったというのだから心胆を寒からしめる。なかには渡り鳥の群をミサイル群と見誤ったケースさえあったというのだからカンベンしてもらいたいね。トランプ政権時に出版された本なので、序章でトランプ大統領がそのような決断を迫られる寸劇(フィクション)が語られているが、いかな尊大なトランプおじさんでも、実際にそんな立場になったらビビって鼻血が出るに違いない。この「警報下発射」システムは今現在も「オン・ステージ」つまり稼働中で、このような危険極まりないシステム(現在ならバイデン爺さんの認○症の妄想で世界が終わるかもしれない)はすぐに廃すべきであると著者は訴える。

 『核のボタン』ではそれ以外にも、過去の「核政策」の成功と失敗の歴史などに触れながら、「核」の現状について様々な現実が語られている。最後の「10大勧告」では核軍縮に向けての具体的な提言がなされているが、それらの実効性についてはド素人の私が云々できる代物ではない。しかし、多事多端な現在、日本でも核武装論を唱える輩がマスコミを賑わすようになっていることを考えると、このような本を読んでおくことも意味のあることだと思う。たまには畑違いの本を読んでみるのも楽しいものだ。