今日からFacebookのアカウントと連携して岩間国語塾の宣伝をすることにしたのだが、正直に言ってどのような記事を投稿すれば宣伝になるのか、皆目見当がつかない。仕方がないので面白かった映画の話でもしよう。
巨匠フリッツ・ラングのドイツ時代の作品の中でいちばん好きなものは何かといえば、『メトロポリス』でも『M』でもなく、『ドクトル・マブゼ』(1922)である。この作品の存在を知ったのはずいぶん以前、たしか中学生のころに、どくとるマンボウ北杜夫氏の随筆を読んだ時だ。躁鬱病であった氏が躁状態の時に
俺はマブゼだマブゼだじょ。どうだみなちゃんコワイだろ。
というデタラメな歌を歌っていたという話だった(ように記憶している)。
それ以来、『ドクトル・マブゼ』は「いつか観てみたい映画」となった(なんでそんな歌で観たくなったのか?)のだが、機会が得られず、ようやく紀伊國屋書店から「クリティカル・エディション」というのが発売されたのを購入して長年の宿願を果たしたわけだ。
悪の超人
我らがマブゼ博士、実に自らの欲望に忠実なナイスガイで、その卓越した頭脳と恐るべき催眠術の能力を遺憾なく発揮して社会を混乱に陥れる。情報を操作して株式市場で巨利を得るは、偽札は造るは、伯爵夫人を手に入れるためにその旦那を破滅させるは、自分の愛人である美貌の踊り子を唆して富豪の息子をタラシこみ、都合が悪くなると愛人を見捨てて毒薬を渡して自殺させるはと、やりたい放題。ここまで徹底して冷酷非情な悪役ぶりは、観ていてむしろ爽快ですらある。
近年で同じように強烈な悪役は『ダークナイト』のジョーカーだが、彼の場合は敵対し、攻撃するターゲットが明確である。バットマンの守ろうとする(そして人びとが信じたがる)「正義」がそれであり、彼はその虚妄性、欺瞞性を暴こうとする(結局ジョーカーによって暴露されてしまった「正義」の欺瞞性を隠蔽するために、バットマンは自ら汚名を引き受け、行方を眩ます)。またあらわに語られることはないが、ジョーカーには社会や人生についてのルサンチマンが感じられる。
それに対して我らがマブゼ博士の言動には、何のルサンチマンも社会への敵対意識も感じられない。ひたすら己の物欲と性欲と支配欲の充足に邁進するテロリストである。DVDの特典映像に、フリッツ・ラングへのインタビューの一部が収録されていて、そこで「(マブゼは)ヒトラーではない。ニーチェの言う『超人』の悪い例だ」と答えているが、悪の超人マブゼは、ルドルフ・クライン・ロッゲの、意志と知性を感じさせる名演を得て(その割に手下の男たちはみな下品で卑小な印象だが)、第一次大戦の敗戦国ドイツだけではなく、疲弊した近代社会の、社会的価値基盤が崩壊し(これがファシズムへの大衆的支持を生み出してゆく)、退廃と享楽趣味が支配した乱世精神を象徴するキャラクターとなった。当時世界的に大ヒットしたというのも頷ける話だ。
ネガとポジ
ついでに、大した根拠もない思いつきを一つ。女など利用の対象でしかないかのように冷酷非情に振舞うマブゼ博士だが、トルド伯爵夫人には妙に執着を示している。夫人は人生に「退屈」し、賭博場に出入りしたり交霊会に参加したりするが、それでも「退屈」から逃れられない。それがマブゼの魔の手を呼び寄せ、ついには旦那を破滅させてしまう。マブゼはそのように「退屈」した美貌の有閑夫人に執着(なにしろ土壇場に追い詰められるまで彼女を手放そうとしない)し、それが結局自らの破滅を招くわけだが、そこまで執着したのは、彼女に自分の「影」を見出していたからなのかもしれない。マブゼの愛人カーラ・カロッツァとの対話で愛の尊さに目覚めながら、自分の旦那を破滅に導いてしまった女と、愛に価値など見出さなかったにもかかわらず、そんな女に執着することで破滅してしまった男。マブゼも「退屈」していたのかもしれないね。
それにしても、紀伊國屋書店のDVDは高価いなあ。貴重でめったに観る機会のない作品を販売してくれるのはありがたいが、もう少し安くなりませんか? それでも古いフィルムに何の補修も加えず、ブックレットも映像特典も付けずに高額な定価で販売する某社よりはマシか。
どうだろう。少しは私の塾の宣伝になるだろうか。