阪東妻三郎主演『魔像』(1952)

 田村正和追悼(?)シリーズの二本目は、彼の実父阪東妻三郎の主演作『魔像』である。周知の通り、田村正和は阪妻の三男であり、兄の故田村高廣、弟の田村亮も俳優と、田村家は有名な役者一家である。因みに、顔立ちという点では正和が一番父親に似ていない。

 阪東妻三郎こそ、20世紀の日本映画最大のスタアである。戦前の、まだ映画が「活動写真」だった無声映画の時代から活躍し、『雄呂血』『逆流』『無法松の一生』『狐の呉れた赤ん坊』『王将』『破れ太鼓』など、日本映画の歴史に残る数々の作品に主演、Wikipediaの記載に依れば、「1989年(平成元年)に文春文庫ビジュアル版として『大アンケートによる日本映画ベスト150』という一書が刊行されたが、文中372人が選んだ「個人編男優ベストテン」の一位は阪妻だった。死後35年余りを経て、なおこの結果だった。」
 『魔像』は阪妻晩年の主演作だが、役者阪妻の魅力がよく分かる一本である。正直に告白すれば、観てからかなり時間が経っているので、筋書はほとんど忘れてしまった。たしか阪妻、この作品では一人二役をやっていたように記憶しているが、そんなことはどうでもよい。晩年の作品でありながら、彼が画面に現れた瞬間から、その姿と気風の良さに目を奪われる。役者の「華」とはこういうものか。それに較べれば、筋書の荒唐無稽さ(あるいは御都合主義ぶり)などたいした疵ではない。本物の「スタア」とは、脚本に合せて演技するのではない。「スタア」の魅力に脚本のほうが合わせるのである。これは、不世出の大スタア阪妻の格好良さを楽しむための作品である。

 してみると、田村正和は(兄弟の中で顔立ちは一番似ていないが)父親の「華」の部分を最も色濃く受け継いだ息子だったのかも知れない。一流の役者でありながら、しかしどのような役をやっても「田村正和」でしかなく、かの『古畑任三郎』も、『刑事コロンボ』の枠組を使った本編の面白さもさることながら、冒頭の田村”任三郎”正和による導入(ナビゲーション)部分が作品の大きな魅力だったのだから。