先週のことだが、わが家の郵便受けに「御譲位・平成三十一年四月三十日 三種の神器の文献上の証拠 『建国の三大綱』 明治維新から百五十年の節年」と題する(おそらく手製の)小冊子が放り込まれていた。「アジアの夜明けとなった明治維新から百五十年の慶歳(よきとし)」、現上皇から今上帝への譲位に際して、「日本建国の原点、として皇室に伝わる重要なる御物『三種の神器』」(原文ママ、以下同様)の解説を試みたものらしい。内容的には「天壌無窮の神勅」だの、儒仏の理念と神器「玉・鏡・剣」との対応だのと、伊勢神道以来の相も変わらぬ付会の説が語られていて、特に見るべきものはない。唯一目新しい(?)のは、古墳からの出土品と『日本書紀』の記述を根拠に「三種の神器は日本人民の全体の政治思想であった事がわかる」とし、「玉」を「行政」に、「鏡」を「立法」に、「剣」を「司法」に配当して近代国家の「三権分立」と対応させ、「これほど堂々たる政治思想はないのであります」としている点か。しかし、こういう闇雲な牽強付会は、本居宣長や平田篤胤以来の国学の「伝統」といっても良いもので、特に目新しいことでもないのかもしれない。
知らない人のために解説しておくと、「天壌無窮の神勅」とは、天孫ニニギノミコトが地上に天下る時に、天照大神が「葦原(あしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は、是、吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(い)でまして治(しら)せ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまのひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壌(あめつち)と窮(きはま)り無けむ」と勅したという伝説で、『日本書紀』巻第二(神代下)に出てくる(引用は岩波書店・日本古典文学大系67『日本書紀』による)。幕末の国学・神道者流、明治以降の右翼・国家主義者などが好んで引用する部分である。しかし実はこの「神勅」、『日本書紀』本文には存在しない。『日本書紀』は本文の各段の後に「一書(あるふみ)に曰く」で始まる異伝が付されていて、件の「神勅」は第九段に八つある異伝の一つに出てくるだけである。異伝の一つに出てくるにすぎない「神勅」がなぜそれほど重要なのか、本文より異伝の記述の方が信頼できるのか、管見の及ぶ限りその点について私の納得のゆく説明をしている国学者や国家主義者はいない。彼らは北畠親房『神皇正統記』も大好きなようだが、それにしては冒頭の「大日本(おほやまと)は神国(かみのくに)なり」以外を読んだ形跡がないのと同じなのかもしれない。が、21世紀にもなって愚直に信じている人がいるとは、むしろその純真さを珍重すべきか。
それにしても不思議なのは、「平成三十一年」の「譲位」に際して作られたと思しき小冊子が、なんで今頃になってわが家の郵便受けに入っていたかである。近代日本のナショナリズム・右翼・アジア主義・国家主義に、私が近年興味をもって研究(?)していることを知っている誰かが奥床しくも名を隠して与えてくれたのだろうか。それとも時節柄、眞子内親王(当時)の結婚を前にして、「今こそ皇統の大義を示し、皇道を宣布しなければならない」と発奮した御仁が、鼻息も荒く賞味期限切れの不良在庫を一掃しようとしたのだろうか。謎は深まるばかりである。