Nina Simone, Amazing!

 最近、家で仕事をしている最中にはジャズ(おもにヴォーカル)を流していることが多い。以前からビリー・ホリディやサラ・ヴォーン、エラ・フィッツジェラルドなどは聴いていたが、ロック育ちである私がジャズを聴くことが多くなったのはいつ頃からだろう。

 きっかけの一つは、数年前に同僚のある講師が、ニーナ・シモンのCDを貸してくださったことだと思う。『Here Comes the Sun』というアルバムだが、(おそらく私のロック好きを考えて)ビートルズやディランのカバー曲の入ったものを選んでくださったのだろう。聴いてみて非常に気に入った。中でも「Mr.Bojangles」は素晴らしかった。そこで彼女の主要アルバム二十数枚が収録されているMP3CDを入手したのだが、もっと早くから聴いておけばよかった。初期の『The Amazing Nina Simone』など、文字通り「アメイジング!」で、デビュー早々の作品とは思えない。ゴスペル、ブルーズ、R&B(ソウル)、いわゆるジャズだけではなく、私の好むブラック・ミュージックのほとんどを網羅する大変な歌い手さんであった。「対象がロック世代に限られているためジャズ、クラシックやオペラなどのジャンルは含まれていない(Wikipedia)」はずの米Rolling Stone誌「歴史上最も偉大な100人のシンガー」で、「ジャズ・シンガー」である彼女が29位に選出されているのも宜なるかな。

 そんな彼女の歌の中で最も好きなのは「I Wish I Knew How It Would Feel to Be Free」(1967)だ。

I wish I knew how it would feel to be free.
I wish I could break all the chains holding me.
I wish I could say all the things that I should say.
Say’em loud,say’em clear for the whole round world to hear.

という歌詞を見てわかるとおり、公民権運動を時代背景として歌われた曲(オリジナルは彼女ではないらしい)だが、そのような知識がなくとも、彼女の歌手としての力量が十分堪能できる曲である。

 軽快で、しかし抑え気味に歌い出す前半から、曲の進行につれて徐々に盛り上がってゆく展開が見事で、シンプルなアレンジのバックが彼女の歌を効果的にサポートする。人の心を動かすのに過剰な装飾は必要ないということだ。同様に、よい音楽に冗漫な解説も野暮というものだろう。この曲の収録されているアルバム『Silk & Soul』には、他にも、後にダイアナ・クラールが歌う「The Look of Love」やノラ・ジョーンズが歌った「Turn Me On」なども入っている。機会があればぜひ一聴を。

小林秀雄『本居宣長』(1977)

 小林秀雄の『本居宣長』をはじめて読んだのは五十近くになってからだ。この高名な評論をそれまで読まなかった理由は、何ということはない、ただ「興味を持たなかったから」というに過ぎない。全体私は子どもの頃から自分の好きなことにばかり熱心で、興味の持てないものを強要されるのが苦痛で仕方がなく、そのうえ怠け者と来ているから、何かと口実を見つけて逃げ回ってばかりいた。おかげで学校の成績は極めてアンバランス、苦手(というより面白くない教科)は追試の嵐、狡賢く学校をサボることを覚えた高校時代は、赤点をいただいたこともある。そのころ級友が私を評して曰く、「学校に一番遅く来て一番早く帰る男」。朝の1限は寝坊して出席せず、2現から教室に顔を出したが、昼休み前に腹が減ったので抜け出して近くのラーメン屋で昼飯、また教室に戻ったのは良いけれど(どこが?)、午後は興味のない授業だったので麻雀をしに帰ってしまった(もちろんよい子は真似などしてはなりません)、などという日もあったのだから、そのように言われて返す言葉もなかった。我ながらよく卒業できたものだ。

 クダラない話は止めにしよう。そんな「興味を持たなかった」本をいい年こいて読んだのは、現在も私が「興味を持っている」近代日本のナショナリズム・超国家主義思想について、その歴史的淵源としての国学思想を通覧しようと思った時に、手許にあった(家族が持っていた)この本を読んでみたということだ。

宣長の古道論

 戦後、本居宣長の、いわゆる「古道論」は、戦前戦中のナショナリズムの思想的先蹤として、日本の古典の思想の中でもとりわけ非合理的で始末に困るもの、国語国文学研究であれだけの業績を遺した学者がなぜこんな……、という感じで受取られてきた。宣長曰く、古代中国の聖人が定めた「道」などというものは小賢しい知恵の産物だ、もともと「道」などと言えるものがなく、権謀術数による王位の簒奪や絶え間ない戦乱で人心が荒廃して世が乱れているからこそ、事々しく「道」を造り構えなければならなかったのだ、それにひきかえ天照大御神の御国であるこの日本は、本来人心素樸でねぢけたところがなく、彼らの自然な生活がそのまま「神ながらの道」を体現していた、それは『古事記』を読めば明白にわかることで、後世の人は異国の、儒仏の誤った教えに目を眩まされているのである。さらに、太陽神である天照大神には、日本のみならず世界中の人が恩恵を蒙っているのだから、世界の人々は天照大神に感謝すべきであるなどと主張するに至っては、さすがに当時の知識人たちも唖然とし、多数の疑義や反論が寄せられた(なかでも上田秋成との論争は有名)。『古事記』の記述をそのまま歴史的事実として捉え、そこから想定された日本古来の「神ながらの道」を絶対化する宣長の思想は、戦前の皇国史観にもとづく歴史認識のうえでは歓迎もされただろうが、戦後には「神ながらの道」ならぬ「神がかり」と受取られるのも当然であった。私も学生の頃、初めてこの思想を知った時には不遜にも「ワケがわからない。オッサン頭の線でもキレたか」と思ってしまった。

批評とは何か

 小林は宣長の古道論の非合理性やその突飛な結論を擁護しようとはしない。彼は宣長の履歴を辿りながら、丹念にその思想の形成を跡づけ、傍目にはいかに突飛で非合理に見えようとも、宣長の古道論は、あの有名な「もののあはれ」という理念を導き出すに至る勉学と思索、そして詠歌の経験によって得られた「意(こころ)と事(こと)と言(ことば)は、みな相称(かな)へる物」という絶対的認識によるものであったこと、宣長にとってその結論は必然であったことを見事に語って見せた。

 どの時期の文章か知らないが、小林には「批評について」という文章があって、その中で彼はこのようなことを言っていた。長い引用になるが、

 人々は批評という言葉をきくと、すぐ判断とか理性とか冷眼とかいうことを考えるが、これと同時に、愛情だとか感動だとかいうものを、批評から大へん遠い処にあるもののように考える。そういう風に考える人々は、批評というものについて何一つ知らない人々である。(中略)恋愛は冷徹なものじゃないだろうが、決して間の抜けたものじゃない。それどころか、人間惚れれば惚れない時より数等悧巧になるとも言えるのである。(中略)ある批評家が、ある作品を軽蔑する。だが、彼の心持ちに、決して烈しいものも積極的なものも豊富なものもあるわけでもない。そういう人の軽蔑は、ただ己れの貧寒を糊塗する口実に過ぎない。貧寒な精神が批評文を作る時、軽蔑口調で述べれば豪(えら)そうに見えるだけの話だ。(中略)批評で冷静になろうと努めるのはいい、だが感動しまいと努める必要がどこにある。(中略)作品から人々がほんとに得をするのは作品に感服した場合に限るので、とやかく(感動を忘れた冷静な素振りで:筆者注)批評なぞしている際に、身になるものは事実なんにも貰っていやしないのである。

 小林が宣長に「惚れ」たのかどうかの詮索などどうでもよい。若い頃に読んだ『古事記伝』の思想にこだわりつづけ、その非合理性や独善性を冷笑するより、徹底的に相手に寄り添うことでそれを解き明かそうとした批評家の姿勢は、一読の価値があると思う。(論の当否を判断できるほど頭のよくない)私がいい歳こいて柄にもなく感動したのもその点だ。批評も畢竟、批評家の精神の産物であり、その意味で紛れもなく「作品」であることがよくわかる一冊である。『本居宣長』を「難解」とする向きも多いようだ(中には「奇書」などという極端な評価もあるそうだ)が、筆者小林の批評のスタンスが感得できれば、さほど理解が難しいとも思わない(私にとっては「いい年こいて」読んだのがかえって良かったのかも知れない。若い頃では黄色い嘴の浅知恵が邪魔をして、途中で抛り出していたに違いない。怠惰と偏頗も時には役に立つということか)。

『怪人マブゼ博士』

 『怪人マブゼ博士』(『マブゼ博士の遺言』)は、『ドクトル・マブゼ』10年後の続編である。10年も経てば、作家の問題意識もそれなりの変容を遂げるだろう。それは進化・発展と呼ばれるべきものである場合もあれば、退行・堕落と呼ばれる場合もあるだろう。ラングと脚本家ハルボウのコンビはどうだろうか。

 警部のもとに元部下からの電話が入る。「偽札工場を見つけた。」だが肝心のことを聞こうとした途端、部下の悲鳴とともに電話は切れる。駆けつけてみると部下の部屋はもぬけの殻で、部下は発狂状態で精神病院に収容されていた。彼は病院でも警部に連絡を取ろうとする電話の一人芝居を続けているが、声を掛けると恐怖に顔を引きつらせ、幼児の歌を唱い始める。彼の遺した手がかりから、捜査を進める警部。折しも、10年前に悪事が露見し、発狂状態で見つかったマブゼが狂気の中で記したメモの通りの犯罪が新聞を賑わしていた……。

 と、サスペンス調の物語だが、サスペンスとして見ると「リアリティのない作品」ということになってしまうかもしれない。なにしろマブゼを担当する精神科医が、死んだマブゼの霊みたいなものを見たり、それが彼に憑依する場面がクライマックス・シーンなののだから。

言葉の映画

 これは最初から最後まで「言葉」が鍵となる作品である。冒頭、偽札工場の耳を圧する轟音の中、潜入した元部下とマブゼの手下とのそれぞれ無言の仕草(前作『ドクトル・マブゼ』はサイレントであったが、この作品はラングにとって『M』に続くトーキーである)、電話で肝心のことを言葉にしようとした瞬間に襲われ、発狂してその言葉を口にできなくなってしまった元部下、廃人同然となってメモの言葉のみが意味あるものとなったマブゼ、そのマブゼの意志を代行(?)し、手下に鉄の規律を以て犯罪の実行を指示する謎の黒幕が、実際にはスピーカーとマイク―つまり口と耳、言葉を発する器官と言葉を捉える器官―を付けただけの薄っぺらい板の人型でしかないこと……。すでに前作『ドクトル・マブゼ』でも、マブゼを追い詰めようとするヴェンク検事を窮地に陥れるのが、マブゼの言葉の暗示による催眠術であった(ツィ・ナン・フ―tsi nam fu 済南府のことらしい―とメリオール、いずれも地名であることに何か意味があるのだろうか)。物語のクライマックスは、死んだはずのマブゼの霊のごときもの(つまり精神であろう)が、彼を診ていた精神科医に取憑き、マブゼの意志が精神科医に転移する場面である。ここでマブゼは精神科医を相手に、初めて自らの目的を語る。DVDの附録のブックレットには、字幕では字数の制約によって完全に訳出できなかったというマブゼの言葉の忠実な訳文が紹介されている。それを引用しよう。

「人間の魂のもっとも奥底の部分を、究明しがたく一見無意味な犯罪で震えあがらせなければならない。犯罪は何人にも益せず、不安と恐怖を広めることだけを唯一の目的とする。なぜなら犯罪の最終的な意味とは、限りなき犯罪の支配を打ち立て、滅亡を運命づけられたこの世界で破壊された理想を基礎として、完全なる不安定と無政府状態を作り出すことにあるからである。人間が犯罪のテロルによって支配され、恐怖と驚嘆によって正気を失うとき、そしてカオスが至高の掟へと高められるとき、犯罪の支配のときが訪れる。」(渋谷哲也訳)

 完全な、純粋テロリストの登場である。犯罪の支配と、すべてを混沌へと還元しようとする意志。廃人同然で、すでに肉体の意味を失っていたマブゼに遺されていたのはこの強烈な意志と、それを表明する遺言(メモに記された犯罪計画と、精神科医に語った言葉)だけである。いわば言葉だけの存在となったマブゼに、精神科医は呪縛され、彼の犯罪計画の実行に着手する。

フリードリヒ(?)

 言葉による呪縛。人間が言葉によって世界を認識し、言葉によって思考する存在である以上、言葉の持つ人間への規制力はいつの時代でも強力で、場合によっては危険なものであろう。ドイツ国内でナチスが完全に勝利する直前に制作され、公開直前に上映禁止処分を喰らってラングがドイツを脱出する直接のきっかけとなった作品だが、現代のわれわれが鑑賞する際、何もヒトラーにのみ結びつけて解釈する必要もないだろう。『怪人マブゼ博士』(原題は『Das Testament des Dr.Mabuse』、『マブゼ博士の遺言』。邦題よりこちらのほうがより直接的に内容を表現している)は、おそらくいつの時代においても「今日的」な主題を扱った、重要な作品のひとつであろう。
 などととりとめもないことを考えていると、「マブゼ」はヒトラーや(ラングの語っていた)「ニーチェの『超人』の悪い例」などではなく、ニーチェその人であるような気もしてくる。通俗的秩序の中に安住する大衆を呪詛し続け、晩年に狂気に陥った彼の言葉は、今でも若い連中に中毒患者・模倣者を作り出し続けているのだから。

 マブゼを演ずるのは前作に続いてルドルフ・クライン・ロッゲ。ただし、前作のような大活躍と違って今回は精神病院の廃人だから、あまり彼の演技は目立たない。かわりに魅力的なキャラクターを演ずるのは、物語の狂言廻し的存在ローマン警部役のオットー・ヴェルニケ。ローマン警部の、傲岸でありながら愛嬌のある個性を好演している。
 また、前作でマブゼに「表現主義など遊びですな」という台詞を吐かせていたラングだが、この作品には『カリガリ博士』を思わせるような不均衡な構図が何カ所か出てくる。ラングの遊び心の発露だろう。
 なお、ラングは戦後『マブゼ博士と千の目』という、今度は監視社会をテーマにした作品を遺しているそうだ。まだ未見だが、いずれ観てみたい作品である。

どのように宣伝すべきか ― ドクトル・マブゼ

 今日からFacebookのアカウントと連携して岩間国語塾の宣伝をすることにしたのだが、正直に言ってどのような記事を投稿すれば宣伝になるのか、皆目見当がつかない。仕方がないので面白かった映画の話でもしよう。

 巨匠フリッツ・ラングのドイツ時代の作品の中でいちばん好きなものは何かといえば、『メトロポリス』でも『M』でもなく、『ドクトル・マブゼ』(1922)である。この作品の存在を知ったのはずいぶん以前、たしか中学生のころに、どくとるマンボウ北杜夫氏の随筆を読んだ時だ。躁鬱病であった氏が躁状態の時に

 俺はマブゼだマブゼだじょ。どうだみなちゃんコワイだろ。

というデタラメな歌を歌っていたという話だった(ように記憶している)。
 それ以来、『ドクトル・マブゼ』は「いつか観てみたい映画」となった(なんでそんな歌で観たくなったのか?)のだが、機会が得られず、ようやく紀伊國屋書店から「クリティカル・エディション」というのが発売されたのを購入して長年の宿願を果たしたわけだ。

悪の超人

 我らがマブゼ博士、実に自らの欲望に忠実なナイスガイで、その卓越した頭脳と恐るべき催眠術の能力を遺憾なく発揮して社会を混乱に陥れる。情報を操作して株式市場で巨利を得るは、偽札は造るは、伯爵夫人を手に入れるためにその旦那を破滅させるは、自分の愛人である美貌の踊り子を唆して富豪の息子をタラシこみ、都合が悪くなると愛人を見捨てて毒薬を渡して自殺させるはと、やりたい放題。ここまで徹底して冷酷非情な悪役ぶりは、観ていてむしろ爽快ですらある。
 近年で同じように強烈な悪役は『ダークナイト』のジョーカーだが、彼の場合は敵対し、攻撃するターゲットが明確である。バットマンの守ろうとする(そして人びとが信じたがる)「正義」がそれであり、彼はその虚妄性、欺瞞性を暴こうとする(結局ジョーカーによって暴露されてしまった「正義」の欺瞞性を隠蔽するために、バットマンは自ら汚名を引き受け、行方を眩ます)。またあらわに語られることはないが、ジョーカーには社会や人生についてのルサンチマンが感じられる。
 それに対して我らがマブゼ博士の言動には、何のルサンチマンも社会への敵対意識も感じられない。ひたすら己の物欲と性欲と支配欲の充足に邁進するテロリストである。DVDの特典映像に、フリッツ・ラングへのインタビューの一部が収録されていて、そこで「(マブゼは)ヒトラーではない。ニーチェの言う『超人』の悪い例だ」と答えているが、悪の超人マブゼは、ルドルフ・クライン・ロッゲの、意志と知性を感じさせる名演を得て(その割に手下の男たちはみな下品で卑小な印象だが)、第一次大戦の敗戦国ドイツだけではなく、疲弊した近代社会の、社会的価値基盤が崩壊し(これがファシズムへの大衆的支持を生み出してゆく)、退廃と享楽趣味が支配した乱世精神を象徴するキャラクターとなった。当時世界的に大ヒットしたというのも頷ける話だ。

ネガとポジ

 ついでに、大した根拠もない思いつきを一つ。女など利用の対象でしかないかのように冷酷非情に振舞うマブゼ博士だが、トルド伯爵夫人には妙に執着を示している。夫人は人生に「退屈」し、賭博場に出入りしたり交霊会に参加したりするが、それでも「退屈」から逃れられない。それがマブゼの魔の手を呼び寄せ、ついには旦那を破滅させてしまう。マブゼはそのように「退屈」した美貌の有閑夫人に執着(なにしろ土壇場に追い詰められるまで彼女を手放そうとしない)し、それが結局自らの破滅を招くわけだが、そこまで執着したのは、彼女に自分の「影」を見出していたからなのかもしれない。マブゼの愛人カーラ・カロッツァとの対話で愛の尊さに目覚めながら、自分の旦那を破滅に導いてしまった女と、愛に価値など見出さなかったにもかかわらず、そんな女に執着することで破滅してしまった男。マブゼも「退屈」していたのかもしれないね。

 それにしても、紀伊國屋書店のDVDは高価いなあ。貴重でめったに観る機会のない作品を販売してくれるのはありがたいが、もう少し安くなりませんか? それでも古いフィルムに何の補修も加えず、ブックレットも映像特典も付けずに高額な定価で販売する某社よりはマシか。

 どうだろう。少しは私の塾の宣伝になるだろうか。

歴史上の与太話

 HPを開設して以来、まだ1件の問い合わせも来ていないのだが、それでも問い合わせが来た場合のため、利用規約だのプライバシーポリシーだの塾のご案内だのの文書作成で忙殺されて、ブログの更新が遅れてしまった。

 そういえば昨日大河ドラマが最終回を迎えたようだ。「迎えたようだ」というのは観ていなかったからで、最近は大河ドラマに限らず、テレビの連続ドラマの類はとんと観ていない。毎週同じ時間にテレビを観られるわけでもなく、また録画までして観たいとも思わないからね。評判の高い作品なら、気が向いたときにTSUTAYAで借りて観ればよい。

 そんな大河ドラマを玉三郎と染谷将太君目当てで(長谷川博己君、申し訳ない!)毎週観ていた家人が、最終回を観た後に突然「テンカイセツを採ったんだ」と言いだした。テンカイセツ? 何のことかわからず問い返してみたら、何のことはない。明智光秀は実は山崎の合戦で討たれてはおらず、後に南光坊天海という僧侶となって初期の江戸幕府に大きな影響力を揮ったという歴史上よくある与太話のことだった。つまり「天海説」。いうまでもなく源義経がチンギス・ハーンになったとか、東北地方にイエス・キリストの足跡が遺っているなどという話と同様、まともな歴史家が相手にするものではないが、この手の他愛のない与太話はいいねえ。悲運の武将への哀惜が感じられて。もちろんテレビドラマがそのような「説」を採ったからといって、「史実ではない」などと怒って投書したりツイートする必要もない。エンタテインメントなんだから。少なくとも今のところ、『シオンの賢者の議定書』みたいに、たいへんな害悪をもたらす可能性はない。

 日本の歴史上最大の与太話は何だろう。先日読んだ中公新書『椿井文書―日本最大の偽文書』(馬部隆弘著)で、江戸時代の椿井政隆という人物が、実に巧妙に大量の偽文書を作成し、それが現在に至るまで学校教材や市町村史に活用されてきたことが紹介されていたが、これなんかはかなり上位にランキングされる与太話ではないか。歴史上の大事件というわけではないけれど。それにしてもどうしてこれだけの偽文書を長期間にわたって作り続けたのか、その情熱には恐れ入るね。椿井文書を資料として市区町村史を編纂した役所の担当者が困惑しているというニュースにもなって、お気の毒としかいいようがないが、それでも椿井政隆に対する怒りが湧くかというとそうでもない。彼は(もちろん報酬目的であったのだろうが)各地域の人々の願望に応える形で次々と偽文書を作り、それと過去に作った偽文書の内容と辻褄を合わせるために結果的に大量の偽文書を遺すことになったらしく、そこに彼自身の名誉欲や政治的野心の類は見られないからだ。過去のイタズラに引きずられてどんどんと深みにはまってしまったかのようにも思えてしまう。だいたい歴史の改竄などというのは自己の権力の正当化とか、過去の蛮行の糊塗を目的とした情けないものが多いが、それに較べれば椿井政隆などカワイイものだ。

 やたらとセンセーショナルでスケールが大きい(?)与太話はやはり熊沢寛道だろう。戦後のGHQ体制下で突如マスコミの寵児となった「熊沢天皇」だ。後南朝の後裔である自分こそが正統の天皇である、今の天皇はニセモノである、即刻退位すべしと主張してマスコミに面白おかしく取り上げられた。彼は戦前からそのような主張を要人に上申していたらしい(もちろん相手にされなかった)から、どうやら本気でそう思っていたようだ。何というか、後南朝なんて一体何世紀前の話なのか。20世紀になってそのような話を本気で信じているというのも……と思うが、21世紀になっても自分の血筋を溯れば○○天皇だ、などと自慢する輩がいるのだから、それほど驚くべきことでもないかもしれない。でもそんな風に血筋を溯ってばかりいたら、日本中天皇だらけになってしまうのではないか。他人事ながら心配だ。

 しまった。若い頃見た思い出深い大河ドラマの話をするつもりだったのに、話が脱線してしまった。その話はまたの機会に。

HP開設! めでたし

 HP開設記念の投稿なので、何かお目出度いことでも書こう。

 とはいっても、このご時世なかなかお目出度いことはないもので、○○退陣をお目出度いなどと書いたら「信者」から集中砲火を浴びるだろうし、××で「珪藻土なんとか」を返品して3000円ぐらい返ってきたという程度でお目出度いもないだろう。今のような世の中だからこそお目出度いことを言いたいので色々考えるのだが、どうも何も思いつかない。このような場合はやはり先人の知恵に頼るのが一番だ。古典から気のきいた佳什を引用してお茶を濁すことにしよう。

 古典で「お目出度い」のは、何といっても天明狂歌だろう。もちろん権威ある勅撰和歌集には「賀歌」という部立があって、『古今和歌集』に「君が代は千代にましませ」云々という「君が代」の元歌もあったりするが、それを引用して「テンノーヘーカ、バンザーイ!!」などと絶叫する趣味はないので、やはり天明狂歌だ。

 かくばかりめでたく見ゆる世の中をうらやましくやのぞく月影
                 (『万載狂歌集』四方赤良)

 四方赤良は天明狂歌の中心的人物、蜀山人大田南畝の若き日の狂名であり、この歌は『拾遺和歌集』藤原高光「法師にならむと思ひたちけるころ、月を見侍りて かくばかり経がたく見ゆる世の中にうらやましくも澄める月かな」を本歌とする。わずかな字句を変えるだけで、厭世的な本歌を逆転させてお目出度い歌にしてしまう、この軽やかな運動神経が、狂歌師四方赤良の真骨頂だ。彼には他にも

 あなうなぎいづくの山の妹と背をさかれてのちに身を焦がすかな
 金銀のなくて詰まらぬ年の暮れなんとせうぎ(将棋)と頭かく飛車

などという傑作がある。

 四方赤良だけではない。安永・天明期の戯作は一般に「お目出度い」感覚に満ち満ちていて、狂歌なら他にも

 汗水をながしてならふ剣術のやくにもたたぬ御代ぞめでたき(『徳和歌後万歳集』・元木網)
 年の寄る春をめでたいめでたいと祝ふおろかを山も笑ふか(『狂歌才蔵集』・宿屋飯盛)

などというのもある。この「お目出度い」感覚が何に由来するのか興味が沸くが、もう長くなるので最後にもう一首紹介してお開きにしよう。

 音に聞き目に実入りよき出来秋は民も豊かに市が栄へた
          (『万載狂歌集』折句歌・四方赤良)

設問 本文のなかに何回「めでたい」という語が出てきたか、漢数字で答えよ。

答え 十四回 これだけくり返せばきっと何かお目出度いことが起こるに違いない。