I Shall Be Released

 名曲「Stand by Me」を私がはじめて聴いたのは、中学生の頃だったか。ベン・E・キングのオリジナル・バージョンではなく、ジョン・レノンが『Rock’n’Roll』というカバー・アルバムで唱っていたバージョンだった。ノスタルジックでセンチメンタルなアレンジ、ジョンの切ない歌声で聴かせるこの曲に大いに感動していたためか、数年後シンプルなオリジナル・バージョンを聴いたときには少々肩すかしを喰ったような気がしたものだ(もちろんオリジナル・バージョンも大好きだが)。例えば日本のザ・グルーヴァーズがかつて吉田拓郎の「春だったね」を軽快なロックンロールで演奏して曲の面目を一新したり、見事なアレンジでボブ・ディランの「Simple Twist of Fate」の魅力を引出していたように、オリジナルに負けない、あるいはそれ以上に魅力的なカバー・バージョンも多数ある。そういえばジャズの世界では多数のスタンダード・ナンバーがあり、伝統的にほとんどの演奏家が(自分のオリジナル曲ももちろんあるが)積極的にカバー・バージョンの演奏をして、そこでオリジナリティーを競っている。中にはダイアナ・クラールのようにジャズのスタンダードだけでなくロックやポピュラーのカバーに挑戦して名盤『Wallflower』をものしたケースもある。

 今回の標題「I Shall Be Released」はいうまでもなくボブ・ディランの代表曲のひとつである。ディランは多数の曲がこれまた多数の演奏家によってカバーされており、ディラン自身も自分の曲を、ライブでは最初に発表した「オリジナル」とは全然違うアレンジにして披露したりするので、彼の曲の「カバー・バージョン」は膨大な数に上るのではないか。「I Shall Be Released」も、私のiTunesのライブラリに登録されているものだけでディラン自身によるものが(「オリジナル」を含めて)4バージョン、他のミュージシャンによるカバーが5組10バージョン(同じミュージシャンの複数のライブ・バージョンも含む)もある。これらを、特にディラン以外のカバーを聴き比べるとなかなか面白い。

 ①ザ・バンド:おそらくこの曲のカバーの中でも最も有名なバージョンである。彼らの最初のアルバム『Music from Big Pink』の最後を飾るこの曲は、オルガンとコーラスを前面に出した教会音楽を思わせるようなアレンジで、アルバム全体の出来の良さも相まって非常に感動的な出来の良さである。彼らの解散コンサート『The Last Waltz』でもステージの最後にディランを含む出演ミュージシャン全員が参加して唱っていた。後年発表されたディランの『Bootleg Series』ではディランがこれに近いアレンジで唱っているので、当時一緒に活動していたザ・バンドとディランが色々試してみたアレンジのひとつだったのだろうと思われる。日本のロック・バンドの草分けであるザ・ゴールデン・カップスのカバーは、基本的にこのザ・バンドのアレンジに倣ったものである。

 ②ニーナ・シモン:ディランも唱った「Mr.Bojangles」(この曲はディランのオリジナルではない)で有名な彼女のカバーは、ひとことで言えば(いかにも彼女らしく)ソウルフルでブルージー、女性コーラスとのユニゾンで聴かせるドラマティックなバージョンである。やはり歌い手としての彼女の力量は大したものだ。彼女は他にも「The Times They Are-a-Changing」「Just Like Tom Thumb Blues」「Just Like a Woman」など、ディランの曲を多数唱っている。

 ③スティング:1976年以来、アムネスティ・インターナショナルの資金集めのために開催されている『ザ・シークレット・ポリスマンズ・ボール』という催しがあって、モンティ・パイソンのメンバーやミスター・ビーンなどのコメディアン、そして有名ミュージシャンが多数参加しているのだが、その第3回目(1981年)の参加ミュージシャンが凄かった。スティング、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ボブ・ゲルドフ、フィル・コリンズ、ドノヴァンといった面々で、中でもクラプトンとベックが共演した「Farther on Up the Road」「Crossroads」は二人のギタリストの個性の違いがよくわかって聴きモノであった。そのステージの最後に、スティングが参加ミュージシャン全員を従えて唱ったのが「I Shall Be Released」。レゲエ調のアレンジなのはディランの『At Budokan』のバージョンを参考にしたと思われるが、スティングの、伸びやかな高音が非常によく調和していて、聴いていて爽快な気分になる。

 ④クリッシー・ハインド:ディランのデビュー30周年を記念して開催されたトリビュート・コンサートでこの曲を披露したのがロック姐ちゃんクリッシー・ハインドだ。全身黒で固め、サイコロのイヤリングをぶら下げて唱う彼女の姿はたいそう格好良く、アレンジもダイナミックで「ロック」の魅力に溢れていた。惜しむらくはギタリストを務めたG・E・スミスが遠慮していたのか、ギター・ソロがいまひとつ大人しくて地味だったことだ。下手な遠慮なんかしないでもっとスパークさせればよかったのに。

 同じ曲のカバー、たった4種類でもそれぞれのミュージシャンの個性がよく出ていてとても楽しい。むしろ「オリジナル・バージョン」という比較の対象があるだけ、カバー・バージョンのほうがその演奏家の個性を表現しやすいのではないかとさえ思えてしまう。近年、なぜか「オリジナル信仰」みたいなものが根付いて、何でもかんでも「オリジナル曲」にこだわる向きも多いようだが(これはたぶんビートルズ登場以降の流れではないか)、もっと積極的に古い曲のカバーをしてみるのも良いのではないかな。ビートルズもたくさんの曲をカバーしているし、ディラン自身の言葉にもあるように「良い曲を作りたかったら、古い曲をたくさん聴くことだ」そうだから。だからと言って近年のように古い曲を自分の曲と勘違いし(もしかするとボケているのか)、「作詩作曲ボブ・ディラン」として発表するのも考えものだが。

Robert Jr. Lockwood & the Aces 『Blues Live』(1974年)

 その昔、十数年間にわたって「ブルース・フェスティヴァル」という催しが日本で毎年開催されていて、数は多くはないが熱心な日本のブルース・ファンを喜ばせていた。その記念すべき第1回のゲストとして招かれたのがロバート・Jr.ロックウッド&ジ・エイシズである。今回取り上げる『Blues Live』はその際の公演を音源とした、ライヴ・ブルースの名盤である。

 ロバート・Jr.ロックウッドはあの(ロックという音楽の祖父と言っても良い伝説的ブルースマン)ロバート・ジョンソンを義父に持ち、長じてはサニー・ボーイ・ウィリアムスン、B.B.キング、ハウリン・ウルフ、ウィリー・ディクソン、オーティス・スパン、リトル・ウォルター、マディ・ウォーターズなど錚々たるブルースマンと共演してきたシカゴ・ブルースきってのギタリスト(同時にヴォーカリスト)で、50代後半の1972年に発表した初のリーダー・アルバム『Steady Rollin’ Man』が高い評価を受け、それが日本に呼ばれるきっかけとなった。ジ・エイシズはルイス・メイヤーズ(g)、デヴィッド・メイヤーズ(b)、フレッド・ビロウ(ds)の三人で構成された1950~60年代のシカゴを代表するブルース・コンボ。この両者の共演による『Blues Live』は、ブルースという音楽の雰囲気を端的に教えてくれる。

 ミディアム・テンポで快調にドライヴする1曲目「Sweet Home Chicago」、「いかにも歎き歌(ブルース)」といった感じの2曲目「Goin’ Down Slow」や3曲目の「Worried Life Blues」、ラヴ・ソング「Anna Lee」、妙に楽天的な「Feel Alright Again」、義父直伝の弾き語り「Mean Black Spider」、そしてルイス・メイヤーズのリード・ギターが炸裂(本当に上手い)するインストゥルメンタル「Honky Tonk」と様々なタイプのブルース・ナンバーが演奏され、どの曲も出来が良いが、中でも一番聴き応えがあるのは「(They Call It)Stormy Monday」だろう。
 アルバム全体を通してもギターが聴きモノなのだが、この「Stormy Monday」でのギター・プレイは特筆ものである。コード・カッティングで始まるイントロの格好良さ、洒脱で流麗なオブリガート、そしてセンス溢れるソロでの、ルイス・メイヤーズとの絡みから醸し出される緊張感。いったいどうやって弾いているのだろう(この二人による演奏については、かつて黒人音楽の評論家日暮泰文氏が「ギターがたった2本とは信じられない。まるで5~6本あるようだ」と言っていた)。この時点で60近いジジイなのによく集中力が持つものだ。

 ギターの話が多くなってしまったが、張りのあるロックウッドのヴォーカルも実にイイ感じである。60近いジイサンなのにどういうことだろう。やはりアメリカ人は喰っているモノが違うのだろうか。Give Me Chocolate!

 この公演の十数年後に、ロックウッドは再び来日した。東京と京都での公演だったが、当時大学生だった私は喜んでチケットを買って東京の公演を観に行った。ステージに現われたロックウッド翁はもう70代半ばで、ずっと椅子に座ったまま唱い、演奏していた。さすがに『Blues Live』のレベルのパフォーマンスを期待するのは無理というもので、特に声の衰えは隠しようがなかった(東京での公演は、場所は憶えていないが席の指定された劇場で、そのためか観客も全般に大人しく、演奏中ドラマーがしきりに煽っていたがいまひとつ盛り上がりに欠けたのも残念だった。京都はライヴハウスだったらしいので、そちらのほうに行けばまた印象も違っていたかもしれない)。もう10年か15年早く生まれていたら、74年のこのライヴを見られていたかもしれないと思うと残念である。『Blues Live』では(大きな音が聞こえるわけではないが)客席の「熱気」も感じられる。そういう点でも名盤である。

 ブルースやゴスペル、そしてフォーク、ブルーグラスなどの、いわゆるルーツ・ミュージックというのは、(現在のような様々な音響加工技術を用いた音楽とは違って)音も編曲もシンプルで、その趣味を持たない人にとっては単調で退屈、「どの曲も同じに聴こえる」という感想を持つのは必定である。しかし、確実に「その趣味」を持つ人がいて、例えば1950年代にそういう音楽を熱心に聴いていた若者の一人がボブ・ディランであり、ミック・ジャガー、エリック・クラプトン、ロバート・プラントやジミー・ペイジであった。この『Blues Live』を聴いてその格好良さに感応できた人は、「その趣味」の素質があるかもしれない。だからと言って、こういう音楽を熱心に聴けばボブ・ディランやエリック・クラプトンになれるというわけでもないことは、この私を見ればわかるだろうが(泣―Blues!)。

Eric Clapton『There’s One in Every Crowd(安息の地を求めて)』(1975)

 「ギターの神様」エリック・クラプトンの輝かしいキャリアの中でも、特別に地味なアルバムである。ウィキペディアの記載を見ても、「前作『461 オーシャン・ブールヴァード』及びシングル「アイ・ショット・ザ・シェリフ」の成功を受けて、再びレゲエを取り入れたアルバム。レコーディングは主にジャマイカで行われ、「オポジット」のみマイアミ録音。「揺れるチャリオット」は、黒人霊歌の曲にレゲエのアレンジを施したもの。」と実に素っ気ない紹介しかされていない。

 確かに『461オーシャン・ブールヴァード』は高い評価を受け、ボブ・マーリーの曲をカヴァーしたシングル「アイ・ショット・ザ・シェリフ」は大ヒットしたし、次作の『ノー・リーズン・トゥ・クライ』のように「ボブ・ディランやザ・バンドと共演!」と世間の目を惹くセールス・ポイントがあるわけでもなく、その次の『スロー・ハンド』の「コカイン」「ワンダフル・トゥナイト」みたいにステージでの定番となる曲もない。だからまるで「重要な作品ではありません」と言わんばかりの紹介となるのも無理はないが、そんなに捨てたものではないと思うのだよ。ヲヂさんは。

 レゲエ色が強い、ということになっているものの、それが前面に出ているのは2曲目「Swing Low,Sweet Chariot(揺れるチャリオット)」3曲目「Little Rachel」4曲目「Don’t Blame Me」だけである。他のアルバムに較べて多いとはいえ、アルバム全体の基調がレゲエというほどでもない。もう一つ、このアルバムの際立った特徴はゴスペル(黒人霊歌・スピリチュアル)の影響である。オープニングの「We’ve Been Told(Jesus Is Coming Soon)」からしてタイトル通りのゴスペルナンバーであり、続く「Swing Low,Sweet Chariot」、そして6曲目の「Singin’ the Blues」もゴスペルっぽさを感じさせる曲だ。現在とは違ってこの当時、レゲエは世界中から注目された目新しい「民族音楽」であり、例えばストーンズも『イッツ・オンリー・ロックンロール』の「Fingerprint File」を皮切りに、80年代初頭くらいまでアルバムに必ずといっていいほどレゲエ・ナンバーを収録していた。クラプトンもその例に漏れずレゲエに注目していたのは、このアルバムの収録曲を見れば明白だが、デラニー&ボニーやデュアン・オールマンなどとの交流でアメリカ南部の音楽を「再発見」していたクラプトンは、このアルバムでゴスペルとの接近をも試みたのだと思われる。

 もちろん、ギタリストとしてのクラプトンも健在で、エルモア・ジェイムスのカヴァー「The Sky Is Crying」、自作の「Better Make It Through Today」の2曲で渋くてシビれる演奏を聞かせてくれている(「The Sky Is Crying」ではスライド・ギター)。

 ビートルズの『サージェント・ペパーズ』あたりから定番となった、転調を用いて2つの曲を組み合わせたような構成の「Pretty Blue Eyes」「High」を経て、最後の曲「Opposites」は言葉遊びを歌詞とした曲で、途中「Layla」のリフが聴こえてきたり、エンディングで「蛍の光」のメロディが流れたり(イギリスではこの曲、新年を迎えたお祝いに演奏する曲であると教わったのは高校生の頃で、教えてくれたのはこのアルバムのライナー・ノーツだった。勉強になるなあ)と、遊び心が楽しい。この遊びに象徴されるように、アルバムは全体にゆったりとした余裕を感じさせる出来栄えで、『There’s One in Every Crowd』……どんな群衆にもそんなヤツがいる……等身大のクラプトンはもうすでに「安息の地」に辿り着いているようだ。ああ、また邦題にケチをつけてしまった。

Dr.Feelgood『Stupidity』(1976)

 「ドクター・フィールグッド」といっても、現在どれぐらいの人がこのバンドのことを憶えているだろうか。当時の日本の洋楽ファンでも、彼らを知っているのは少数派だったからなあ。なのでこのバンドのリー・ブリロー(Vo)時代のライヴを観たことのある日本人はそう沢山はいないと思う。自慢じゃないが私はその中の一人である。その時……したカセットテープに付けておいたメモを見ると、1980年11月8日(土曜日)発明会館ホール、とある。新譜『A Case of Shakes』の宣伝もかねて来日したのだと思う。この数年前にギタリストのウィルコ・ジョンソンが脱退し、替わりにジッピー・メイヨーという人がギターを弾いていたが、それ以外の三人、リー・ブリロー、ジョン・スパークス(B)、ジョン(ビッグ・フィギュア)・マーティン(Ds)はオリジナル・メンバーでの来日だった。

 当時まだ高校生だった私は、「あのドクター・フィールグッドが来る」ということで友達に誘われて一緒に観に行った。たしか前座を務めたのは石橋凌率いるARB、客席には鮎川誠もいたように記憶しているが、客の数は多くはなく、決して大きいとはいえない会場の三分の一も埋まっていなかった。

 メンバーがステージに登場し、スロー・ブルース・ナンバーを皮切りに演奏が始まると、前座のARBの時には石橋凌の挑発も虚しく体力を温存していた観客が一挙に大騒ぎ、最後にはみな自分の席を離れてステージの前で踊りまくっていた(もちろん私もその中でバカ騒ぎをしていた一人であったことはいうまでもない)。演出は極めてシンプル。派手なライトアップも、仕掛けもない。音楽のみで勝負。本当に楽しいライヴだった。そして今でも印象深く覚えているのは、フィールグッドの演奏中、ステージの袖のほうで真剣にそのパフォーマンスを見つめていた石橋凌の姿だ。偉大なる先輩バンドのステージから学ぼうとする真摯な姿勢が垣間見えた。

 『Stupidity(殺人病棟)』はドクター・フィールグッド最大のヒットとなった(全英1位)1976年のライヴ・アルバムである。最大のヒット作であると同時に、このバンドの最高傑作だと思う。邦題の「殺人病棟」というのは原題とは何の関係もなく、日本で配給していたレコード会社の賢しら(例えば前作『Malpractice』にも「不正療法」というタイトルをつけて、フィールグッドを禍々しいイメージで売ろうとしたようだ)である。原題は収録曲のタイトルであり、この曲のオリジナルはソウル歌手ソロモン・バーク。キング・ソロモンの自己陶酔的でダイナミックな歌も私は大好きだ。

 ブリローの力感溢れるヴォーカル、タイトなリズム・セクション。1曲目の「Talkin’bout You」からラストの「Roxette」まで、ノン・ストップで乗りに乗った演奏が繰り広げられる。中でも特筆すべきはウィルコ・ジョンソンの物凄いギター・プレイだ。派手なソロを弾くわけではないが、非常にメリハリのある細かいカッティングが持ち味のギタリストで、時に突っかかるような(モタる、ではない)タイミングのズレがかえって独特のドライブ感をもたらす。タイトル・チューンの「Stupidity」を聴いただけで、どれほどのギタリストであるか解るだろう。私もときどきギターをいじくり回すのだが、とてもじゃないがこんな風には弾けない(単に下手くそなだけとも言えるが、そのような不愉快なことは考えないようにしよう)。そんな演奏を、全編にわたってアドレナリン全開で続けるウィルコには、ほとほと感服する。以前このアルバムのウィルコの演奏について、誰かが「絨毯爆撃のようだ」と言っていたが、本当にそんな感じである。

 と書いてくると、私が観に行ったのがウィルコの脱退後であったのが残念でならない。ジッピー・メイヨーがダメだというわけではない。この人も実力のあるギタリストで、後にヤードバーズに参加するなど音楽活動を続けていた。ライヴでの演奏は、当時の私も充分満足したし、今聴き直しても非常に良いプレイをしている。ただ、当り前のことだがウィルコとは持ち味が違う。おそらく60~70年代のシカゴ・ブルーズを基盤とすると思われるジッピーのギターに、ウィルコのような独特のドライブ感を求めるのは無理であろう。ブリローが鬼籍に入った今、もはや叶わぬ願いだが、一度でいいからブリローとウィルコの「ドクター・フィールグッド」を観てみたかった。

 なお、ドクター・フィールグッドが登場したのは、イギリスの「パブ・ロック」といわれた音楽シーンの中からで、このパブ・ロックがその後のパンク・ロックの先蹤となったわけだが、パブ・ロックについてはウィル・バーチという人の『パブ・ロック革命』という本がある。

The Eagles 『On the Border』(1974)

 世界的大ヒット『One of These Nights』『Hotel California』の陰に隠れて、あまり知名度は高くないかもしれないが、イーグルスの3枚目のアルバム『On the Border』はなかなか聴き応えのある佳作である。「Desperado」「Tequila Sunrise」といった抜群の曲(特に後者は彼らの曲の中で、私の一番好きな曲である)を収録しながらいまひとつ売れなかった前作『Desperado』の後を承けて、よりロック色の強いアルバムを志向して(つまりロックの時代だったのである)、プロデューサーにビル・シムジクを迎えて制作したということだ。

 彼ららしい軽快なロックンロール「Already Gone」で始まる『On the Border』では、「Midnight Flyer」「My Man」「Is It True」、そしてトム・ウェイツの名曲のカバー「Ol’ 55」などのナンバーでデビュー以来の持ち味である美しいコーラスと豊かな叙情性を堪能できるが、何といっても出色なのはアルバム・タイトル・ナンバー「On the Border」と「Good Day in Hell」の2曲であろう。「On the Border」では『Desperado』の「Doolin-Dalton」の世界を引き継ぐような一攫千金を夢みる男を謳いながら、バンドのその後の方向性を暗示するがごとぎ凝った構成のハード・ロックを聴かせてくれる。そして「Good Day in Hell」。アルバム制作中に参加したドン・フェルダーの、ヘヴィーでブルージー、ダイナミックでありながら正確な音程のスライド・ギターが炸裂する、このアルバム中随一の聴きモノである。ドン・フェルダーは後に「Hotel California」を作曲し、そこでも端正な演奏を聴かせてくれるが、この「Good Day in Hell」での演奏の質はそれ以上で、もしかすると彼のベスト・プレイなのではないか。さすがデュアン・オールマンの弟子である。

 この2曲を聴くと、どうやらこのアルバムが彼らにとって音楽的な転機となったのではないかと思われる。単にハード・ロック調の曲をやったから、というわけではない(デビュー・アルバムにも「Witchy Woman」というハード・ロック調の曲はあった)。後の『Hotel California』で顕著に見られる、1曲1曲を緻密に構成・アレンジして正確無比な演奏でそれを表現するという姿勢は、特にこの2曲にその萌芽が見られるのではないか、という意味だ。それにしても1971年のデビューから僅か5年後の1976年、『Hotel California』であれほどまでに完成度の高い音楽を披露したのだから、作曲能力も含めてその音楽的成長の速さは尋常ではない。若々しい感性の叙情的な曲を歌うカントリー・ロック・バンドが、いつの間にかヘヴィー・ナンバーもお手の物、ハードな文明批評的な視点も兼ね備えた時代を代表するバンドに化けていたのだから恐れ入った話である。まあ、その完成度の高さがかえって禍したのか、難産の末発表された次作『The Long Run』が散漫な凡作だったこともあって、バンドは空中分解してしまうのだが(何やらメンバー間の確執があったという話だが、そんな三流芸能記事のごとき情報は私にとっては意味がない。また90年代に再結成して再び大ヒットを飛ばしたようだが、実は私は聴いていない。このバンドは70年代最高のロック・バンドのひとつであり、その時代ならではの傑作を残した伝説である。時宜を失した再結成バンドになど用はない)。

 アルバムの最後を飾るのはドン・ヘンリーとグレン・フライのコンビの名曲「The Best of My Love」である。落ち着いた、美しい旋律とドン・ヘンリーの優しい歌唱。良い気分だ。

Otis Redding 『Live in Europe』(1967年)

 もう一人の「ビッグ・オー」の話をしよう。ブラック・ミュージック史上に輝く天才ヴォーカリストにして、僅か数年の活動であったにもかかわらず、「Mr.Pitiful」と綽名された哀しげな声で多数の音楽ファンの心を掴み、後世にも絶大な影響を与えた男、オーティス・レディングだ。ローリング・ストーンズも初期から彼の歌をカヴァーし、黒人の歌がヒット・チャート(総合チャート)の上位を賑わすという、今日では当り前となった現象のきっかけの一つ、アレサ・フランクリンの「Respect」も彼の曲のカヴァーである(同時期の、黒人音楽の隆盛を象徴するアーサー・コンレイのヒット曲「Sweet Soul Music」もオーティスとアーサーの合作)。そして、日本においても、RCサクセションに同名の「Sweet Soul Music」という名曲(これも物凄くカッコいい曲である)があるように、かの忌野清志郎や、日本の誇るソウル姐ちゃん和田アキ子の永遠のアイドルだった。デビューは1960年らしいが、実質的には1962年の「These Arms of Mine」のヒットからが彼の本格的な活動期間である。決して器用ではなく、むしろ無骨な印象を与えるが、この上ない説得性を帯びた彼の歌唱の特徴は、この曲ですでに十分発揮されている。

 『Live in Europe』はオーティスのキャリア初のライヴ・アルバムだが、最強のバック・バンド(Booker T.& the MG’sとMemphis Horns)を従えたオーティスの歌が堪能できる珠玉の一枚である。収録曲は
  1. Respect
  2. Can’t Turn You Loose
  3. I’ve Benn Loving You Too Long
  4. My Girl (ご存知テンプテーションズのカヴァー)
  5. Shake (お馴染みサム・クックのカヴァー)
  6. (I Can’t Get No) Satisfaction (言うまでもなくストーンズのカヴァー)
  7. Fa-Fa-Fa-Fa-Fa (Sad Song)
  8. These Arms of Mine
  9. Day Tripper (もちろんビートルズのカヴァー)
  10.Try a Little Tenderness (古いラヴ・ソングのカヴァー。1932年が最初の録音らしい)
と、半分がカヴァー曲である。残りの半分がオーティスのオリジナル曲で、どれも彼の代表曲。それらの曲の、このメンバーによるライヴ演奏を聴けるだけで充分聞く価値があろうというものだが、それよりも凄いのはカヴァー曲のほうである。「My Girl」の余裕たっぷりな歌い方も「Shake」での盛り上がりも素晴らしい。中でも出色なのは「(I Can’t Get No) Satisffaction」と「Try a Little Tenderness」の2曲だ。

 ストーンズの「(I Can’t Get No)Satisfaction」は、フーの「My Generation」と並んでロックの時代の到来を告げる名曲であることに間違いはないが、ストーンズのオリジナル・バージョン、音楽的には正直なところ単調で催眠的である。オーティスはそれを、アップ・テンポのジャンプ・ナンバーに仕立て上げて曲の面目を一新している。特に曲の後半に至ると、まるで機関車が轟音を上げて走っているような、息をも吐かせぬ疾走感と重量感に溢れた演奏と歌唱である。後年ストーンズがライヴでこの曲を演奏する時のアレンジは、おそらくこのオーティスのアレンジを参考にしていると思われる。

 そして「Try a Little Tenderness」。アルバムの最後を飾るこの曲は、心に迫る哀感とドラマティックな展開が聴きモノで、おそらく彼のキャリアの中でも最高の部類に入る歌唱である。高校生の頃にはじめて聴いた時には、背筋に電流が走るような気がしたものだ。因みに、かつてRCサクセションがライヴの最後によく演奏していた「指輪をはめたい」という曲(この曲も私は大好きだ)は、アレンジ、ステージ上の演出も含めて明らかにこの「Try a Little Tenderness」を意識していた。

 オーティスは1967年12月、乗っていた飛行機が墜落するという事故によって弱冠26歳でこの世を去る。その少し前に喉の手術をして声の質が変わったのか、晩年(!)の録音は以前と唱法が少々変わっている(哀しげなのは相変わらずだが)。その時期に録音された「(Sittin’ on) The Dock of the Bay」が死後にシングル盤として発売され、彼にとって初の、そして唯一のNo.1ヒットとなるわけだが、もし事故に遭わなかったら、唱法を変えた彼がその後どんな歌を歌っていたのか。まあ、突然の死が彼を伝説にしたことも事実であろうから、言っても詮ないことではあるが。

 オーティス・レディングは不世出の天才歌手であった。もし彼の歌も知らずにブラック・ミュージックのファンを名乗る奴がいたら、そいつはモグリである。

Roy Orbison 『Black & White Night』(1987年)

 ロイ・オービソンは1960年代前半のアメリカを代表するヒットシンガーだった。カントリー音楽を基盤としたロックンロールとバラードで数々のヒット曲を生み出した。彼ののびやかでロマンティックな歌声は、軽快なロックンロールや美しいバラードにとてもよく合っていた。かのブルース・スプリングスティーンが「ロイ・オービソンのように歌えたら……」といっていたほどの歌い手でもあった。

 いつのことだったか、口の大きい女(名前は忘れた)と鼻の大きい男(これも名前は忘れた)が主演した『プリティ・ウーマン』とかいう足長おじさんものの映画があって、その主題歌としてロイの「Oh,Pretty Woman」がリバイバル・ヒットしていた。そのせいだと思うが、日本ではこの曲ばかりが有名で、それ以外の曲がほとんど知られていないように思う。

 「Only the Lonely」や「In Dreams」の甘い切なさ、「Dream Baby」の洒脱、「Uptown」「Candy Man」の軽妙、そして「Running Scared」や「The Comedians」の高揚感、ポピュラー音楽好きなら聴いて損はないと思う。
 そんなロイも60年代半ばからはヒット曲に恵まれなくなる。プライベートでの不幸も重なって、地道な活動は続けていたものの、表舞台からは遠ざかってゆく。

 60年代半ばのアメリカと言えば、ベトナムに大規模な軍事介入を行ない、国内では公民権運動が盛り上がる、激動の時代を迎えたころである。そのような時代に、ロイのような歌手が不遇になっていったというのはなんだか象徴的な気がする。40~50年代のアメリカの、いわゆる「オールディーズ」音楽の系譜に直接つながるロイの歌は、過去の幻と化しつつあった「古き良きアメリカ」の残照であったのかもしれない。

 『Black & White Night』は私が初めてロイの歌を聴いたライブ盤である。1987年に行なわれたこのライブは、ジェームズ・バートンをはじめとする、かつてエルヴィス・プレスリーのバックバンドだったミュージシャンを随え、ブルース・スプリングスティーン、エルヴィス・コステロ、トム・ウェイツ、ジャクソン・ブラウン、J.D.サウザー、ボニー・レイット、ジェニファー・ウォーンズといった当時を代表する錚々たるメンバーが参加した。当時、20代後半でまだ大学をウロウロしていた私は、深夜のテレビでこのライブの一部が放映されたのを観て、さっそく無い金はたいてレーザーディスクを買いに走ったものだ(当時はまだDVDどころか、アナログレコードがようやくCDに置き換わりつつあったころである。今では時代遅れの規格となってしまったレーザーディスクもまだパイオニアが力を込めて宣伝していた。私がテレビで見た映像も、そのための宣伝番組であった)。
 このライブでのロイは、実に自信に溢れ、楽しそうに昔通りの美声を聴かせてくれている。そして何より特筆すべきは、ブルース・スプリングスティーンの姿だ。集まった面々はみなロイを敬愛する人々だが、中でも彼は憧れの人と共演する喜びを全身で表現しながら、しかし決して出しゃばりすぎることなくプレイしている。本当に嬉しそうだ。当時のスプリングスティーンは、アメリカNo.1のロックシンガーだったのだから、何かこちらまで感動してしまう。(そういえばデヴィッド・リンチも『ブルー・ベルベット』や『マルホランド・ドライヴ』でロイの歌を使っていた。こういうところを見ても、ロイの歌がどれほど愛されていたかがわかるだろう。)
 ロイはこのライブの翌年、52歳で永眠する。早すぎるねぇ。通称「ビッグ・オー」と呼ばれた一代の歌手の魅力の詰まったこのライブ、現在では輸入盤のDVDあるいはCDで入手可能らしい。未見(未聴)の方は是非一度。

 因みに、このライブでコーラス・アレンジを担当し、自身もコーラスで参加しているJ.D.サウザーには、「You’re Only Lonely」という日本でも大ヒットした曲があって、これがロイの「Only the Lonely」を思い切り意識したメロディとアレンジとなっている。それがタイトル・チューンとなっているアルバム『You’re Only Lonely』もオススメ。中でも「White Rhythm and Blues」は美しい名曲だ。リンダ・ロンシュタットもカバーしている(そういえば彼女はロイの「Blue Bayou」も唱っていたな)。

Dave Mason 『Certified Live』(1976年)

 このライブ・アルバム、『情念』などという頓珍漢な邦題がつけられているが、もしかしたらそのせいで日本ではあまり有名ではないのかもしれない。原題は「Certified Live」、つまり「極め付きライブ」である。「極め付き」とは、もともと書や骨董の類に権威ある鑑定者がつけた「極書(きわめがき)」が付いているという意味で、「品質・内容について保証された」ものであるということだ。このアルバムではそのタイトルに恥じない、文字どおり「極め付き」の演奏を楽しめる。

 オープニング・ナンバー「Feelin’ Alright」を聴けばすぐ理解できるだろうが、ファンキーでわくわくするような躍動感に溢れた演奏は、このバンドの技倆の高さを充分に示している。続くトラフィック(デイヴ・メイスンが以前所属していたバンド)時代の「Pearly Queen」では、ツイン・ギターによるスピード感のあるソロの掛合いが聴きモノである。そして4曲目、ボブ・ディランの「All Along the Watchtower(見張り塔からずっと)」だが、これはいままで聴いたこの曲のカヴァーの中でも最もカッコいいアレンジだ。

 B面(ヲヂさんの世代はアナログ・レコードで聴いていた)に移ると、一転してアコースティック・ギターとコーラスを前面に押し立てた曲が続く。ランディ・マイズナー(イーグルス)の「Take It to the Limit」、メイスンの代表曲のひとつ「Give Me a Reason Why」の「啼き」、「Every Woman」の叙情味は一聴の価値があるだろう。以下、C面D面の一々の曲の紹介は省略するが、最後の「Gimme Some Lovin’」などオリジナルよりエキサイティングで格好良く、聴き終わって何か得をしたような気分になる。そして実感するのは、ロック・バンドの演奏のキモはなんと言ってもドラムスとベースなのだということだ。このアルバムのジェラルド・ジョンソン(b)とリック・ジェガー(d)のコンビは実に息が合っていて、うねるような、ダイナミックなドライブを見事に演出して見せてくれている。

 日本ではその実力のわりにはあまり有名でなかったらしいが、デイヴ・メイスンは優れた作曲家・ギタリストであり、このライブ・アルバムは、彼の音楽を知らない人が聴いても、楽曲の良さと演奏の素晴らしさを堪能できると思う。騙されたと思って一度聴くべし。

『John Lennon/Plastic Ono Band』(1970)

 今でも新たなファンが生れ続けているところを見ても、やはりビートルズというのは特別な存在だ。私もご多聞に漏れず、洋楽を聴き始めたきっかけはビートルズである。モータウンの「Please Mr.Postman」や「You’ve Really Got a Hold on Me」を最初に聴いたのは『With the Beatles』のカヴァー・バージョンだったし、Ben E.Kingの「Stand by Me」も、オリジナルより先にジョン・レノンの『Rock’n’Roll』に収録されているカヴァーを聴いていた(『Rock’n’Roll』はジョンが子どもの頃から聴いていた曲のカヴァー集で、「Stand by Me」以外にもいい曲がたくさん収録されている)。ただ、ビートルズに関しては今さら私などが贅言を費やす必要もないほど語り尽くされている。したがって「ロックの黄金時代の伝道師」(?)として、今回はジョン・レノンの『John Lennon/Plastic Ono Band』を採りあげよう。

 このアルバムをはじめて聴いたときの衝撃は今でも忘れない。アルバム最後の曲「My Mummy’s Dead」が再生された後、しばらく呆然としてしまったほどだった。ビートルズ後のジョン・レノンの代表作といえばまず『Imagine』(1971年)を思い浮かべる向きも多いだろうし、たしかにアルバム・タイトル曲「Imagine」や叙情性溢れる「Jealous Guy」などの名曲も収録されている良いアルバムだと思うが、このアルバム『John Lennon/Plastic Ono Band』に見られる透徹した自己意識や研ぎ澄まされた感覚と比較すると、一段も二段も落ちると思う。

 連打される重々しい鐘の音で始まるオープニング・ナンバー「Mother」で始まるこのアルバムは、始めから終わりまでジョン・レノンという希有の個性の、内面の表白である。2曲目以降、「Hold On」「I Found Out」「Working Class Hero」「Isolation」「Remember」「Love」「Well,Well,Well」「Look at Me」「God」と、すべて1語~3語のシンプルな名前の曲が並び、これまた無駄をすべて削ぎ落としたような簡潔なアレンジによる演奏が続いてゆく。歌詞の内容も、自己の両親への思い、自分とその周囲の人間との関わり、(おそらく子どもの頃だけでなく)ビートルズ時代にも経験し実感しただろう孤独、それらの経験から得られた認識と、あくまでも個人的な思いを詠ったものが連ねられている。そのような曲に付き合ってゆくうちに、聴いているこちらもだんだんジョンに寄りそっているような感覚になってゆくのだが、これは単に歌詞の内容とか、アレンジの単純さによって与えられる印象ではない。このアルバムでのジョンの声は、彼の他のどのアルバムと聴き比べても、何の外連味も技巧を弄することもない、「素」そのものの声のように聞こえる。数々の傑作、名曲を生み出したスーパー・バンドのリーダー格だったスターでもなく、平和運動のピニオン・リーダーでもない、「そこにいる男」が愚直に自己の思いを語りつづけているかのようだ。そのため、聴いている側も彼の思いに共感するのであろう。

 最後から2曲目「God」で、彼はすべての偶像を否定し、自己(とヨーコとの愛)に立脚して生きる覚悟を宣言するのだが、この曲から感じられる一種の爽やかさと一抹の悲哀は、アルバム中の白眉であろう。そして、最後の「My Mummy’s Dead」。おそらくラジカセか何かの内蔵マイクで録音したと思われる割れた音の短い曲で、すべての思いが過去に引き戻される。
 個人の内面を徹底して語ることによって普遍に到る。私にとって永遠の傑作のひとつである。

The Rolling Stones 『Exile on Main St.(メイン・ストリートのならず者)』(1972年)

 チャーリー・ワッツの訃報が入ってきた。40年以上もストーンズを聴き続けてきた身にとって、さすがに感慨深いものがある。これで、オリジナルメンバーでバンドに残っているのはミックとキースの二人だけになってしまった(以前に脱退したビル・ワイマンはまだご存命のようだ)。今後ストーンズが活動を継続するかどうか、もちろん私の知るところではないが、チャーリーが泉下の人となった今、もう終わってもいいような、まだ続けてほしいような、何とも言えない気分である。

 言うまでもなくストーンズは、最近濫用されて有難味が薄れてしまった言葉だが、文字通りの「伝説―レジェンド」である。1963年のデビューから、ロックという音楽の象徴的存在として、もう60年近くも活動を続けている。『Exile on Main St.』は彼らの長いキャリアの中でも、文句なしの最高傑作である。この意見に賛同してくれるストーンズ・ファンは多数いると思う。

 しかし、決してわかりやすいアルバムではない。高校生の頃にはじめて聴いたが、その時の印象は「なんだか取っつきにくい」。いつものストーンズがなにやら遠くにいるような感じを受けた。全体的に録音状態が悪いのではないかと思わせるようなラフな音、前作『Sticky Fingers』の「Brown Sugar」や、次作『Goat’s Head Soup(山羊の頭のスープ)』の「Angie(悲しみのアンジー)」のようなわかりやすい曲もなく、冒頭の「Rocks Off」からA面(アナログ・レコード時代は2枚組で発売されていた)最後の「Tumbling Dice」に到る頃には、聴き手のことなどお構いなしにロックの饗宴を繰広げるストーンズに、置いてけぼりを喰っているような気がしたものだ。この印象はおそらく私だけではなく、このアルバムをはじめて聞いた人の多くが抱くものではないか。というのも、発表当時はあまり高い評価を受けず、中には「核心のない無様な2枚組」という酷評もあったからだ。
 それでもすぐに抛り出すことなくこのアルバムを繰り返し聴いた。聴き込んでゆくうちに、曲が耳にこびりつき、頭の中で鳴り続ける、私にとって麻薬の如きアルバムとなった。当時は何故それほどに惹かれたのかよくわかっていなかったが、今なら分かるような気がする。このアルバムは、彼らの原点であるルーツ・ミュージックに立ち戻り、ストーンズ流のブルーズを、ゴスペルを、R&Bを、カントリーを、ロックンロールを披露した作品ではないか。
 「Shake Your Hips」はスリム・ハーポの、「Stop Breaking Down」はロバート・ジョンソンのカバーで、残りは彼らのオリジナル曲だが、それらオリジナル曲も曲ごとにすべてブルーズ、ゴスペル、R&B、カントリー色が、彼らの他のアルバムに較べてもきわめて濃厚である。ラフな印象を与える録音も、荒ぶるパワーの表現(かつて音楽評論家の立川直樹氏が「100Vにしか耐えられない箱に無理矢理200Vの電流を流し込み、爆発を防ぐために鉄の枠をはめたようなアルバム」と言っていた)ということもあろうが、彼らが子どもの頃から親しんだ音楽の、古いレコードの音を彷彿させる意図もあったのではないかと思われる。そして私は子どもの頃から、それと意識してはいなかったが、黒人音楽やカントリーの色の濃い曲が好きだった。

 収録されている曲は(私にとっては)すべて魅力的で、たとえばオープニングの「Rocks Off」のドライブ感、「Tumbling Dice」の哀感、おおいに楽天的な「Happy」、「Let It Loose」の啼き、「All Down the Line」の痺れるギター・リフ、「Stop Breaking Down」のスライド・ギターの格好良さ、ゴスペル「Shine a Light」など、聴き所満載であるが、中でも「Sweet Virginia」「Torn and Frayed」「Sweet Black Angel」「Loving Cup」の4曲が収録されたB面が、このアルバムの特色がもっとも出ているパートで、一番聴き応えがある。『Beggar’s Banquet』「Jumpin’ Jack Flash」「Honky Tonk Women」『Let It Bleed』という過程を経て自分たちの音を確立し、60年代後半からのロックの黄金時代を牽引してきたストーンズが、その頂点に立って「ロックとは本来こういう音楽だ」と宣言したアルバム、それが『Exile on Main St.』である。