Dr.Feelgood『Stupidity』(1976)

 「ドクター・フィールグッド」といっても、現在どれぐらいの人がこのバンドのことを憶えているだろうか。当時の日本の洋楽ファンでも、彼らを知っているのは少数派だったからなあ。なのでこのバンドのリー・ブリロー(Vo)時代のライヴを観たことのある日本人はそう沢山はいないと思う。自慢じゃないが私はその中の一人である。その時……したカセットテープに付けておいたメモを見ると、1980年11月8日(土曜日)発明会館ホール、とある。新譜『A Case of Shakes』の宣伝もかねて来日したのだと思う。この数年前にギタリストのウィルコ・ジョンソンが脱退し、替わりにジッピー・メイヨーという人がギターを弾いていたが、それ以外の三人、リー・ブリロー、ジョン・スパークス(B)、ジョン(ビッグ・フィギュア)・マーティン(Ds)はオリジナル・メンバーでの来日だった。

 当時まだ高校生だった私は、「あのドクター・フィールグッドが来る」ということで友達に誘われて一緒に観に行った。たしか前座を務めたのは石橋凌率いるARB、客席には鮎川誠もいたように記憶しているが、客の数は多くはなく、決して大きいとはいえない会場の三分の一も埋まっていなかった。

 メンバーがステージに登場し、スロー・ブルース・ナンバーを皮切りに演奏が始まると、前座のARBの時には石橋凌の挑発も虚しく体力を温存していた観客が一挙に大騒ぎ、最後にはみな自分の席を離れてステージの前で踊りまくっていた(もちろん私もその中でバカ騒ぎをしていた一人であったことはいうまでもない)。演出は極めてシンプル。派手なライトアップも、仕掛けもない。音楽のみで勝負。本当に楽しいライヴだった。そして今でも印象深く覚えているのは、フィールグッドの演奏中、ステージの袖のほうで真剣にそのパフォーマンスを見つめていた石橋凌の姿だ。偉大なる先輩バンドのステージから学ぼうとする真摯な姿勢が垣間見えた。

 『Stupidity(殺人病棟)』はドクター・フィールグッド最大のヒットとなった(全英1位)1976年のライヴ・アルバムである。最大のヒット作であると同時に、このバンドの最高傑作だと思う。邦題の「殺人病棟」というのは原題とは何の関係もなく、日本で配給していたレコード会社の賢しら(例えば前作『Malpractice』にも「不正療法」というタイトルをつけて、フィールグッドを禍々しいイメージで売ろうとしたようだ)である。原題は収録曲のタイトルであり、この曲のオリジナルはソウル歌手ソロモン・バーク。キング・ソロモンの自己陶酔的でダイナミックな歌も私は大好きだ。

 ブリローの力感溢れるヴォーカル、タイトなリズム・セクション。1曲目の「Talkin’bout You」からラストの「Roxette」まで、ノン・ストップで乗りに乗った演奏が繰り広げられる。中でも特筆すべきはウィルコ・ジョンソンの物凄いギター・プレイだ。派手なソロを弾くわけではないが、非常にメリハリのある細かいカッティングが持ち味のギタリストで、時に突っかかるような(モタる、ではない)タイミングのズレがかえって独特のドライブ感をもたらす。タイトル・チューンの「Stupidity」を聴いただけで、どれほどのギタリストであるか解るだろう。私もときどきギターをいじくり回すのだが、とてもじゃないがこんな風には弾けない(単に下手くそなだけとも言えるが、そのような不愉快なことは考えないようにしよう)。そんな演奏を、全編にわたってアドレナリン全開で続けるウィルコには、ほとほと感服する。以前このアルバムのウィルコの演奏について、誰かが「絨毯爆撃のようだ」と言っていたが、本当にそんな感じである。

 と書いてくると、私が観に行ったのがウィルコの脱退後であったのが残念でならない。ジッピー・メイヨーがダメだというわけではない。この人も実力のあるギタリストで、後にヤードバーズに参加するなど音楽活動を続けていた。ライヴでの演奏は、当時の私も充分満足したし、今聴き直しても非常に良いプレイをしている。ただ、当り前のことだがウィルコとは持ち味が違う。おそらく60~70年代のシカゴ・ブルーズを基盤とすると思われるジッピーのギターに、ウィルコのような独特のドライブ感を求めるのは無理であろう。ブリローが鬼籍に入った今、もはや叶わぬ願いだが、一度でいいからブリローとウィルコの「ドクター・フィールグッド」を観てみたかった。

 なお、ドクター・フィールグッドが登場したのは、イギリスの「パブ・ロック」といわれた音楽シーンの中からで、このパブ・ロックがその後のパンク・ロックの先蹤となったわけだが、パブ・ロックについてはウィル・バーチという人の『パブ・ロック革命』という本がある。

18禁!よい子は決して観てはなりませぬ 牧口雄二の映画

 これは学習塾の宣伝ブログなので、具体的なことを書くのは差し控えるが、かつて東映という映画会社は「エロ・グロ路線」と言われた一連のキワモノ映画を制作していて、傑作『仁義なき戦い』に代表される「実録ヤクザ路線」とともに東映の興行の二本柱だった。その「エロ・グロ路線」で代表的な監督はやはり石井輝男だろうか。しかし、私は石井輝男の独特の感性とその作品の何とはなしの「脂っこさ」がいまひとつピンとこなかった。今日は彼とともにその路線を担った監督の一人で、去年の暮れに物故した牧口雄二の作品の話である。

 彼の監督作品で印象に残っているものの一つは『玉割り人ゆき』(1975)。やはり学習塾の宣伝ブログなので、無闇に詳細な説明をするわけにはゆかないが、「玉割り人」とは遊郭で客の相手をする遊女に床の技術を教える仕事で、大正時代の地方都市の遊郭を舞台に、玉割り人として生きる女主人公「ゆき」と、偶然出逢ったアナキストの男との悲恋物語である。時には冷酷に掟に従って懲罰を加えるプロフェッショナルだが、状況に抗うこともなくどこか投げやりに生きているヒロインを、主演の潤ますみという女優さんが雰囲気たっぷりに演じている(演技力があるかといえば???だが)。そんな主人公が警察に追われるアナキストの男と知り合い、その男との新たな生活に希望を見出そうとした矢先に復讐に遭うというストーリーなのだが、やるせなく倦怠感に満ちた日常からやっと脱却し、明日への希望を抱いた途端に絶望に突き落とされる切なさが詩情豊かに表現された作品であった。この作品には同じ監督の続編『玉割り人ゆき 西の廓夕月楼』というのがある。

 もう一本は『女獄門帖 引き裂かれた尼僧』(1977)で、これはもはや普通の作品では飽き足らない重症の映画オタクの間でカルト化していた作品である。よい子が絶対観てはならない作品なので(『玉割り人ゆき』と同様R-18指定である)学習塾の宣伝ブログとしてあまり露骨な紹介はできないが、狂気の尼僧のカ×バ×ズム物語である。女衒に追われた若い女が山奥の尼寺に逃げ込むと、そこはなんと気の触れた尼僧と寺の住人が紛れ込んできた男たちを……というお話しで、この尼僧を演じている折口亜矢という人はなかなかの美形だが、本職の女優さんではないらしい。学習塾の宣伝ブログという制約のゆゑ内容をあまり丁寧に語ることは叶はぬが、物語の最後にすべてが破綻して寺が炎上し、みな死んでしまう。ここで尼僧が狂気に陥ったきっかけとなった事件がフラッシュバックで描写されるわけだが、この場面から、ただ一人生き残った少女が雪の中旅立ってゆくエンディングのシーンにかけての幻想的な描写が強く印象に残る。ギレルモ・デル・トロの傑作『パンズ・ラビリンス』(これもグロテスクなファンタジーであった)を観たときに、ふとこの作品を思いだしたものだ。そういえば『パンズ・ラビリンス』もR-15指定だったな。

 牧口雄二は、おそらく会社の方針に従って、注文通りの作品を撮る職人監督だったのだと思うが、彼の作品には特有の詩情と幻想性があって、下品なエクスプロイテーション映画の中で異彩を放っていた。その意味でやはり「作家」だったのだ。

The Eagles 『On the Border』(1974)

 世界的大ヒット『One of These Nights』『Hotel California』の陰に隠れて、あまり知名度は高くないかもしれないが、イーグルスの3枚目のアルバム『On the Border』はなかなか聴き応えのある佳作である。「Desperado」「Tequila Sunrise」といった抜群の曲(特に後者は彼らの曲の中で、私の一番好きな曲である)を収録しながらいまひとつ売れなかった前作『Desperado』の後を承けて、よりロック色の強いアルバムを志向して(つまりロックの時代だったのである)、プロデューサーにビル・シムジクを迎えて制作したということだ。

 彼ららしい軽快なロックンロール「Already Gone」で始まる『On the Border』では、「Midnight Flyer」「My Man」「Is It True」、そしてトム・ウェイツの名曲のカバー「Ol’ 55」などのナンバーでデビュー以来の持ち味である美しいコーラスと豊かな叙情性を堪能できるが、何といっても出色なのはアルバム・タイトル・ナンバー「On the Border」と「Good Day in Hell」の2曲であろう。「On the Border」では『Desperado』の「Doolin-Dalton」の世界を引き継ぐような一攫千金を夢みる男を謳いながら、バンドのその後の方向性を暗示するがごとぎ凝った構成のハード・ロックを聴かせてくれる。そして「Good Day in Hell」。アルバム制作中に参加したドン・フェルダーの、ヘヴィーでブルージー、ダイナミックでありながら正確な音程のスライド・ギターが炸裂する、このアルバム中随一の聴きモノである。ドン・フェルダーは後に「Hotel California」を作曲し、そこでも端正な演奏を聴かせてくれるが、この「Good Day in Hell」での演奏の質はそれ以上で、もしかすると彼のベスト・プレイなのではないか。さすがデュアン・オールマンの弟子である。

 この2曲を聴くと、どうやらこのアルバムが彼らにとって音楽的な転機となったのではないかと思われる。単にハード・ロック調の曲をやったから、というわけではない(デビュー・アルバムにも「Witchy Woman」というハード・ロック調の曲はあった)。後の『Hotel California』で顕著に見られる、1曲1曲を緻密に構成・アレンジして正確無比な演奏でそれを表現するという姿勢は、特にこの2曲にその萌芽が見られるのではないか、という意味だ。それにしても1971年のデビューから僅か5年後の1976年、『Hotel California』であれほどまでに完成度の高い音楽を披露したのだから、作曲能力も含めてその音楽的成長の速さは尋常ではない。若々しい感性の叙情的な曲を歌うカントリー・ロック・バンドが、いつの間にかヘヴィー・ナンバーもお手の物、ハードな文明批評的な視点も兼ね備えた時代を代表するバンドに化けていたのだから恐れ入った話である。まあ、その完成度の高さがかえって禍したのか、難産の末発表された次作『The Long Run』が散漫な凡作だったこともあって、バンドは空中分解してしまうのだが(何やらメンバー間の確執があったという話だが、そんな三流芸能記事のごとき情報は私にとっては意味がない。また90年代に再結成して再び大ヒットを飛ばしたようだが、実は私は聴いていない。このバンドは70年代最高のロック・バンドのひとつであり、その時代ならではの傑作を残した伝説である。時宜を失した再結成バンドになど用はない)。

 アルバムの最後を飾るのはドン・ヘンリーとグレン・フライのコンビの名曲「The Best of My Love」である。落ち着いた、美しい旋律とドン・ヘンリーの優しい歌唱。良い気分だ。

Otis Redding 『Live in Europe』(1967年)

 もう一人の「ビッグ・オー」の話をしよう。ブラック・ミュージック史上に輝く天才ヴォーカリストにして、僅か数年の活動であったにもかかわらず、「Mr.Pitiful」と綽名された哀しげな声で多数の音楽ファンの心を掴み、後世にも絶大な影響を与えた男、オーティス・レディングだ。ローリング・ストーンズも初期から彼の歌をカヴァーし、黒人の歌がヒット・チャート(総合チャート)の上位を賑わすという、今日では当り前となった現象のきっかけの一つ、アレサ・フランクリンの「Respect」も彼の曲のカヴァーである(同時期の、黒人音楽の隆盛を象徴するアーサー・コンレイのヒット曲「Sweet Soul Music」もオーティスとアーサーの合作)。そして、日本においても、RCサクセションに同名の「Sweet Soul Music」という名曲(これも物凄くカッコいい曲である)があるように、かの忌野清志郎や、日本の誇るソウル姐ちゃん和田アキ子の永遠のアイドルだった。デビューは1960年らしいが、実質的には1962年の「These Arms of Mine」のヒットからが彼の本格的な活動期間である。決して器用ではなく、むしろ無骨な印象を与えるが、この上ない説得性を帯びた彼の歌唱の特徴は、この曲ですでに十分発揮されている。

 『Live in Europe』はオーティスのキャリア初のライヴ・アルバムだが、最強のバック・バンド(Booker T.& the MG’sとMemphis Horns)を従えたオーティスの歌が堪能できる珠玉の一枚である。収録曲は
  1. Respect
  2. Can’t Turn You Loose
  3. I’ve Benn Loving You Too Long
  4. My Girl (ご存知テンプテーションズのカヴァー)
  5. Shake (お馴染みサム・クックのカヴァー)
  6. (I Can’t Get No) Satisfaction (言うまでもなくストーンズのカヴァー)
  7. Fa-Fa-Fa-Fa-Fa (Sad Song)
  8. These Arms of Mine
  9. Day Tripper (もちろんビートルズのカヴァー)
  10.Try a Little Tenderness (古いラヴ・ソングのカヴァー。1932年が最初の録音らしい)
と、半分がカヴァー曲である。残りの半分がオーティスのオリジナル曲で、どれも彼の代表曲。それらの曲の、このメンバーによるライヴ演奏を聴けるだけで充分聞く価値があろうというものだが、それよりも凄いのはカヴァー曲のほうである。「My Girl」の余裕たっぷりな歌い方も「Shake」での盛り上がりも素晴らしい。中でも出色なのは「(I Can’t Get No) Satisffaction」と「Try a Little Tenderness」の2曲だ。

 ストーンズの「(I Can’t Get No)Satisfaction」は、フーの「My Generation」と並んでロックの時代の到来を告げる名曲であることに間違いはないが、ストーンズのオリジナル・バージョン、音楽的には正直なところ単調で催眠的である。オーティスはそれを、アップ・テンポのジャンプ・ナンバーに仕立て上げて曲の面目を一新している。特に曲の後半に至ると、まるで機関車が轟音を上げて走っているような、息をも吐かせぬ疾走感と重量感に溢れた演奏と歌唱である。後年ストーンズがライヴでこの曲を演奏する時のアレンジは、おそらくこのオーティスのアレンジを参考にしていると思われる。

 そして「Try a Little Tenderness」。アルバムの最後を飾るこの曲は、心に迫る哀感とドラマティックな展開が聴きモノで、おそらく彼のキャリアの中でも最高の部類に入る歌唱である。高校生の頃にはじめて聴いた時には、背筋に電流が走るような気がしたものだ。因みに、かつてRCサクセションがライヴの最後によく演奏していた「指輪をはめたい」という曲(この曲も私は大好きだ)は、アレンジ、ステージ上の演出も含めて明らかにこの「Try a Little Tenderness」を意識していた。

 オーティスは1967年12月、乗っていた飛行機が墜落するという事故によって弱冠26歳でこの世を去る。その少し前に喉の手術をして声の質が変わったのか、晩年(!)の録音は以前と唱法が少々変わっている(哀しげなのは相変わらずだが)。その時期に録音された「(Sittin’ on) The Dock of the Bay」が死後にシングル盤として発売され、彼にとって初の、そして唯一のNo.1ヒットとなるわけだが、もし事故に遭わなかったら、唱法を変えた彼がその後どんな歌を歌っていたのか。まあ、突然の死が彼を伝説にしたことも事実であろうから、言っても詮ないことではあるが。

 オーティス・レディングは不世出の天才歌手であった。もし彼の歌も知らずにブラック・ミュージックのファンを名乗る奴がいたら、そいつはモグリである。

伊藤正敏『アジールと国家 中世日本の政治と宗教』(2020)

 読書の楽しみの一つは、何の疑問もなく自明視していたことについて新たな知見が得られ、必要に応じて認識を修正し、場合によっては世界観や人間観・歴史観が刷新されることだろう。もちろん自分の知識の生半可さや視野の狭さを思い知らされ、以前得意顔で喋っていたことが誤りだったり、きわめて一面的な判断だったことが白日の下に晒されて、穴に頭を突っ込んで死にたくなることも多いけれど。

 伊藤正敏『アジールと国家』は、私にとって数十年ぶりに読んだ本格的「アジール本」である。数十年前に読んだのは言うまでもなく網野善彦『無縁・公界・楽』で、私もご多分に漏れず「アジール」という観念のもっている豊かな可能性に魅了されてしまった一人である。国家権力の処罰から逃走し、アジールに駆け込んだ者にはもはや国家権力の手が届かなくなるなどという物語は、管理と覗き見と訓練の大好きな近代国家の中で白土三平の劇画や石川淳の小説を愛読し、ロックという音楽のアナーキスティックな感性に心酔していた若者を、この上なくシビれさせたものだ。

 『アジールと国家』を一読して、何といっても刮目したのは、中世の日本の歴史を動かした勢力として、公家と武家だけではなく「寺社勢力」という第三極が存在し、場合によっては世俗の権力(朝廷や幕府)を凌駕する、より上位の宇宙論的権威を振りかざして公家や武家の介入を拒否していたという指摘である。そのうえ寺社勢力の中心を担っていたのは僧侶や神官ではなく、「行人・神人」といわれる寺社の雑務を担当する下級の身分の者たちであり、彼らは自身が所属する特定の寺社の枠を越えて広範囲に活動し、行商や金融にも従事する一種の「経済体」を構成していたらしい。中世史を専攻したわけでもなく、公家・武家という二大勢力の角逐という教科書的で陳腐な中世史観しか持ち合わせていなかった私にとっては、目から鱗が落ちる思いであった。もしそうだとすれば、後の戦国時代の比叡山や石山本願寺、一向宗の絶大な権威の淵源の一端は、中世の寺社勢力のアジール機能にあるのだろうし、女子供まで標的にした信長の比叡山焼討ちや本願寺での虐殺の理由の一つもここに求めることができるのかもしれない。もしかしたら楽市楽座だって、行人・神人の経済活動を牽制(場合によっては邪魔)する目的もあったのかもしれず、秀吉の刀狩りがアジールの解体を目的としていた(これは本書で指摘されている)のなら、徳川幕府の寺社政策にも新たな光を当たる可能性が出てくるかもしれない。

 とまあ放恣な想像はこれぐらいにしておいて、本書には他にも私が今まで気づかなかったことがいくつも指摘されていて、例えばヨーロッパ中世に比べて日本の中世のほうが圧倒的に一次資料が残されている(ヨーロッパ中世の王侯貴族の文盲ぶりと平安貴族以来の知識階級の筆まめぶりを考えれば実に納得できる)とか、江戸時代の儒者の排仏的歴史観がその後現代に至るまで歴史認識を規定している(つまり寺社勢力の存在を閑却し、公家と武家を中心に中世史を捉えることが自明視された)とか、とても勉強になる一冊であった。

Roy Orbison 『Black & White Night』(1987年)

 ロイ・オービソンは1960年代前半のアメリカを代表するヒットシンガーだった。カントリー音楽を基盤としたロックンロールとバラードで数々のヒット曲を生み出した。彼ののびやかでロマンティックな歌声は、軽快なロックンロールや美しいバラードにとてもよく合っていた。かのブルース・スプリングスティーンが「ロイ・オービソンのように歌えたら……」といっていたほどの歌い手でもあった。

 いつのことだったか、口の大きい女(名前は忘れた)と鼻の大きい男(これも名前は忘れた)が主演した『プリティ・ウーマン』とかいう足長おじさんものの映画があって、その主題歌としてロイの「Oh,Pretty Woman」がリバイバル・ヒットしていた。そのせいだと思うが、日本ではこの曲ばかりが有名で、それ以外の曲がほとんど知られていないように思う。

 「Only the Lonely」や「In Dreams」の甘い切なさ、「Dream Baby」の洒脱、「Uptown」「Candy Man」の軽妙、そして「Running Scared」や「The Comedians」の高揚感、ポピュラー音楽好きなら聴いて損はないと思う。
 そんなロイも60年代半ばからはヒット曲に恵まれなくなる。プライベートでの不幸も重なって、地道な活動は続けていたものの、表舞台からは遠ざかってゆく。

 60年代半ばのアメリカと言えば、ベトナムに大規模な軍事介入を行ない、国内では公民権運動が盛り上がる、激動の時代を迎えたころである。そのような時代に、ロイのような歌手が不遇になっていったというのはなんだか象徴的な気がする。40~50年代のアメリカの、いわゆる「オールディーズ」音楽の系譜に直接つながるロイの歌は、過去の幻と化しつつあった「古き良きアメリカ」の残照であったのかもしれない。

 『Black & White Night』は私が初めてロイの歌を聴いたライブ盤である。1987年に行なわれたこのライブは、ジェームズ・バートンをはじめとする、かつてエルヴィス・プレスリーのバックバンドだったミュージシャンを随え、ブルース・スプリングスティーン、エルヴィス・コステロ、トム・ウェイツ、ジャクソン・ブラウン、J.D.サウザー、ボニー・レイット、ジェニファー・ウォーンズといった当時を代表する錚々たるメンバーが参加した。当時、20代後半でまだ大学をウロウロしていた私は、深夜のテレビでこのライブの一部が放映されたのを観て、さっそく無い金はたいてレーザーディスクを買いに走ったものだ(当時はまだDVDどころか、アナログレコードがようやくCDに置き換わりつつあったころである。今では時代遅れの規格となってしまったレーザーディスクもまだパイオニアが力を込めて宣伝していた。私がテレビで見た映像も、そのための宣伝番組であった)。
 このライブでのロイは、実に自信に溢れ、楽しそうに昔通りの美声を聴かせてくれている。そして何より特筆すべきは、ブルース・スプリングスティーンの姿だ。集まった面々はみなロイを敬愛する人々だが、中でも彼は憧れの人と共演する喜びを全身で表現しながら、しかし決して出しゃばりすぎることなくプレイしている。本当に嬉しそうだ。当時のスプリングスティーンは、アメリカNo.1のロックシンガーだったのだから、何かこちらまで感動してしまう。(そういえばデヴィッド・リンチも『ブルー・ベルベット』や『マルホランド・ドライヴ』でロイの歌を使っていた。こういうところを見ても、ロイの歌がどれほど愛されていたかがわかるだろう。)
 ロイはこのライブの翌年、52歳で永眠する。早すぎるねぇ。通称「ビッグ・オー」と呼ばれた一代の歌手の魅力の詰まったこのライブ、現在では輸入盤のDVDあるいはCDで入手可能らしい。未見(未聴)の方は是非一度。

 因みに、このライブでコーラス・アレンジを担当し、自身もコーラスで参加しているJ.D.サウザーには、「You’re Only Lonely」という日本でも大ヒットした曲があって、これがロイの「Only the Lonely」を思い切り意識したメロディとアレンジとなっている。それがタイトル・チューンとなっているアルバム『You’re Only Lonely』もオススメ。中でも「White Rhythm and Blues」は美しい名曲だ。リンダ・ロンシュタットもカバーしている(そういえば彼女はロイの「Blue Bayou」も唱っていたな)。

Dave Mason 『Certified Live』(1976年)

 このライブ・アルバム、『情念』などという頓珍漢な邦題がつけられているが、もしかしたらそのせいで日本ではあまり有名ではないのかもしれない。原題は「Certified Live」、つまり「極め付きライブ」である。「極め付き」とは、もともと書や骨董の類に権威ある鑑定者がつけた「極書(きわめがき)」が付いているという意味で、「品質・内容について保証された」ものであるということだ。このアルバムではそのタイトルに恥じない、文字どおり「極め付き」の演奏を楽しめる。

 オープニング・ナンバー「Feelin’ Alright」を聴けばすぐ理解できるだろうが、ファンキーでわくわくするような躍動感に溢れた演奏は、このバンドの技倆の高さを充分に示している。続くトラフィック(デイヴ・メイスンが以前所属していたバンド)時代の「Pearly Queen」では、ツイン・ギターによるスピード感のあるソロの掛合いが聴きモノである。そして4曲目、ボブ・ディランの「All Along the Watchtower(見張り塔からずっと)」だが、これはいままで聴いたこの曲のカヴァーの中でも最もカッコいいアレンジだ。

 B面(ヲヂさんの世代はアナログ・レコードで聴いていた)に移ると、一転してアコースティック・ギターとコーラスを前面に押し立てた曲が続く。ランディ・マイズナー(イーグルス)の「Take It to the Limit」、メイスンの代表曲のひとつ「Give Me a Reason Why」の「啼き」、「Every Woman」の叙情味は一聴の価値があるだろう。以下、C面D面の一々の曲の紹介は省略するが、最後の「Gimme Some Lovin’」などオリジナルよりエキサイティングで格好良く、聴き終わって何か得をしたような気分になる。そして実感するのは、ロック・バンドの演奏のキモはなんと言ってもドラムスとベースなのだということだ。このアルバムのジェラルド・ジョンソン(b)とリック・ジェガー(d)のコンビは実に息が合っていて、うねるような、ダイナミックなドライブを見事に演出して見せてくれている。

 日本ではその実力のわりにはあまり有名でなかったらしいが、デイヴ・メイスンは優れた作曲家・ギタリストであり、このライブ・アルバムは、彼の音楽を知らない人が聴いても、楽曲の良さと演奏の素晴らしさを堪能できると思う。騙されたと思って一度聴くべし。

謎の怪文書(?)

 先週のことだが、わが家の郵便受けに「御譲位・平成三十一年四月三十日 三種の神器の文献上の証拠 『建国の三大綱』 明治維新から百五十年の節年」と題する(おそらく手製の)小冊子が放り込まれていた。「アジアの夜明けとなった明治維新から百五十年の慶歳(よきとし)」、現上皇から今上帝への譲位に際して、「日本建国の原点、として皇室に伝わる重要なる御物『三種の神器』」(原文ママ、以下同様)の解説を試みたものらしい。内容的には「天壌無窮の神勅」だの、儒仏の理念と神器「玉・鏡・剣」との対応だのと、伊勢神道以来の相も変わらぬ付会の説が語られていて、特に見るべきものはない。唯一目新しい(?)のは、古墳からの出土品と『日本書紀』の記述を根拠に「三種の神器は日本人民の全体の政治思想であった事がわかる」とし、「玉」を「行政」に、「鏡」を「立法」に、「剣」を「司法」に配当して近代国家の「三権分立」と対応させ、「これほど堂々たる政治思想はないのであります」としている点か。しかし、こういう闇雲な牽強付会は、本居宣長や平田篤胤以来の国学の「伝統」といっても良いもので、特に目新しいことでもないのかもしれない。

 知らない人のために解説しておくと、「天壌無窮の神勅」とは、天孫ニニギノミコトが地上に天下る時に、天照大神が「葦原(あしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は、是、吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(い)でまして治(しら)せ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまのひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壌(あめつち)と窮(きはま)り無けむ」と勅したという伝説で、『日本書紀』巻第二(神代下)に出てくる(引用は岩波書店・日本古典文学大系67『日本書紀』による)。幕末の国学・神道者流、明治以降の右翼・国家主義者などが好んで引用する部分である。しかし実はこの「神勅」、『日本書紀』本文には存在しない。『日本書紀』は本文の各段の後に「一書(あるふみ)に曰く」で始まる異伝が付されていて、件の「神勅」は第九段に八つある異伝の一つに出てくるだけである。異伝の一つに出てくるにすぎない「神勅」がなぜそれほど重要なのか、本文より異伝の記述の方が信頼できるのか、管見の及ぶ限りその点について私の納得のゆく説明をしている国学者や国家主義者はいない。彼らは北畠親房『神皇正統記』も大好きなようだが、それにしては冒頭の「大日本(おほやまと)は神国(かみのくに)なり」以外を読んだ形跡がないのと同じなのかもしれない。が、21世紀にもなって愚直に信じている人がいるとは、むしろその純真さを珍重すべきか。

 それにしても不思議なのは、「平成三十一年」の「譲位」に際して作られたと思しき小冊子が、なんで今頃になってわが家の郵便受けに入っていたかである。近代日本のナショナリズム・右翼・アジア主義・国家主義に、私が近年興味をもって研究(?)していることを知っている誰かが奥床しくも名を隠して与えてくれたのだろうか。それとも時節柄、眞子内親王(当時)の結婚を前にして、「今こそ皇統の大義を示し、皇道を宣布しなければならない」と発奮した御仁が、鼻息も荒く賞味期限切れの不良在庫を一掃しようとしたのだろうか。謎は深まるばかりである。

『John Lennon/Plastic Ono Band』(1970)

 今でも新たなファンが生れ続けているところを見ても、やはりビートルズというのは特別な存在だ。私もご多聞に漏れず、洋楽を聴き始めたきっかけはビートルズである。モータウンの「Please Mr.Postman」や「You’ve Really Got a Hold on Me」を最初に聴いたのは『With the Beatles』のカヴァー・バージョンだったし、Ben E.Kingの「Stand by Me」も、オリジナルより先にジョン・レノンの『Rock’n’Roll』に収録されているカヴァーを聴いていた(『Rock’n’Roll』はジョンが子どもの頃から聴いていた曲のカヴァー集で、「Stand by Me」以外にもいい曲がたくさん収録されている)。ただ、ビートルズに関しては今さら私などが贅言を費やす必要もないほど語り尽くされている。したがって「ロックの黄金時代の伝道師」(?)として、今回はジョン・レノンの『John Lennon/Plastic Ono Band』を採りあげよう。

 このアルバムをはじめて聴いたときの衝撃は今でも忘れない。アルバム最後の曲「My Mummy’s Dead」が再生された後、しばらく呆然としてしまったほどだった。ビートルズ後のジョン・レノンの代表作といえばまず『Imagine』(1971年)を思い浮かべる向きも多いだろうし、たしかにアルバム・タイトル曲「Imagine」や叙情性溢れる「Jealous Guy」などの名曲も収録されている良いアルバムだと思うが、このアルバム『John Lennon/Plastic Ono Band』に見られる透徹した自己意識や研ぎ澄まされた感覚と比較すると、一段も二段も落ちると思う。

 連打される重々しい鐘の音で始まるオープニング・ナンバー「Mother」で始まるこのアルバムは、始めから終わりまでジョン・レノンという希有の個性の、内面の表白である。2曲目以降、「Hold On」「I Found Out」「Working Class Hero」「Isolation」「Remember」「Love」「Well,Well,Well」「Look at Me」「God」と、すべて1語~3語のシンプルな名前の曲が並び、これまた無駄をすべて削ぎ落としたような簡潔なアレンジによる演奏が続いてゆく。歌詞の内容も、自己の両親への思い、自分とその周囲の人間との関わり、(おそらく子どもの頃だけでなく)ビートルズ時代にも経験し実感しただろう孤独、それらの経験から得られた認識と、あくまでも個人的な思いを詠ったものが連ねられている。そのような曲に付き合ってゆくうちに、聴いているこちらもだんだんジョンに寄りそっているような感覚になってゆくのだが、これは単に歌詞の内容とか、アレンジの単純さによって与えられる印象ではない。このアルバムでのジョンの声は、彼の他のどのアルバムと聴き比べても、何の外連味も技巧を弄することもない、「素」そのものの声のように聞こえる。数々の傑作、名曲を生み出したスーパー・バンドのリーダー格だったスターでもなく、平和運動のピニオン・リーダーでもない、「そこにいる男」が愚直に自己の思いを語りつづけているかのようだ。そのため、聴いている側も彼の思いに共感するのであろう。

 最後から2曲目「God」で、彼はすべての偶像を否定し、自己(とヨーコとの愛)に立脚して生きる覚悟を宣言するのだが、この曲から感じられる一種の爽やかさと一抹の悲哀は、アルバム中の白眉であろう。そして、最後の「My Mummy’s Dead」。おそらくラジカセか何かの内蔵マイクで録音したと思われる割れた音の短い曲で、すべての思いが過去に引き戻される。
 個人の内面を徹底して語ることによって普遍に到る。私にとって永遠の傑作のひとつである。

The Rolling Stones 『Exile on Main St.(メイン・ストリートのならず者)』(1972年)

 チャーリー・ワッツの訃報が入ってきた。40年以上もストーンズを聴き続けてきた身にとって、さすがに感慨深いものがある。これで、オリジナルメンバーでバンドに残っているのはミックとキースの二人だけになってしまった(以前に脱退したビル・ワイマンはまだご存命のようだ)。今後ストーンズが活動を継続するかどうか、もちろん私の知るところではないが、チャーリーが泉下の人となった今、もう終わってもいいような、まだ続けてほしいような、何とも言えない気分である。

 言うまでもなくストーンズは、最近濫用されて有難味が薄れてしまった言葉だが、文字通りの「伝説―レジェンド」である。1963年のデビューから、ロックという音楽の象徴的存在として、もう60年近くも活動を続けている。『Exile on Main St.』は彼らの長いキャリアの中でも、文句なしの最高傑作である。この意見に賛同してくれるストーンズ・ファンは多数いると思う。

 しかし、決してわかりやすいアルバムではない。高校生の頃にはじめて聴いたが、その時の印象は「なんだか取っつきにくい」。いつものストーンズがなにやら遠くにいるような感じを受けた。全体的に録音状態が悪いのではないかと思わせるようなラフな音、前作『Sticky Fingers』の「Brown Sugar」や、次作『Goat’s Head Soup(山羊の頭のスープ)』の「Angie(悲しみのアンジー)」のようなわかりやすい曲もなく、冒頭の「Rocks Off」からA面(アナログ・レコード時代は2枚組で発売されていた)最後の「Tumbling Dice」に到る頃には、聴き手のことなどお構いなしにロックの饗宴を繰広げるストーンズに、置いてけぼりを喰っているような気がしたものだ。この印象はおそらく私だけではなく、このアルバムをはじめて聞いた人の多くが抱くものではないか。というのも、発表当時はあまり高い評価を受けず、中には「核心のない無様な2枚組」という酷評もあったからだ。
 それでもすぐに抛り出すことなくこのアルバムを繰り返し聴いた。聴き込んでゆくうちに、曲が耳にこびりつき、頭の中で鳴り続ける、私にとって麻薬の如きアルバムとなった。当時は何故それほどに惹かれたのかよくわかっていなかったが、今なら分かるような気がする。このアルバムは、彼らの原点であるルーツ・ミュージックに立ち戻り、ストーンズ流のブルーズを、ゴスペルを、R&Bを、カントリーを、ロックンロールを披露した作品ではないか。
 「Shake Your Hips」はスリム・ハーポの、「Stop Breaking Down」はロバート・ジョンソンのカバーで、残りは彼らのオリジナル曲だが、それらオリジナル曲も曲ごとにすべてブルーズ、ゴスペル、R&B、カントリー色が、彼らの他のアルバムに較べてもきわめて濃厚である。ラフな印象を与える録音も、荒ぶるパワーの表現(かつて音楽評論家の立川直樹氏が「100Vにしか耐えられない箱に無理矢理200Vの電流を流し込み、爆発を防ぐために鉄の枠をはめたようなアルバム」と言っていた)ということもあろうが、彼らが子どもの頃から親しんだ音楽の、古いレコードの音を彷彿させる意図もあったのではないかと思われる。そして私は子どもの頃から、それと意識してはいなかったが、黒人音楽やカントリーの色の濃い曲が好きだった。

 収録されている曲は(私にとっては)すべて魅力的で、たとえばオープニングの「Rocks Off」のドライブ感、「Tumbling Dice」の哀感、おおいに楽天的な「Happy」、「Let It Loose」の啼き、「All Down the Line」の痺れるギター・リフ、「Stop Breaking Down」のスライド・ギターの格好良さ、ゴスペル「Shine a Light」など、聴き所満載であるが、中でも「Sweet Virginia」「Torn and Frayed」「Sweet Black Angel」「Loving Cup」の4曲が収録されたB面が、このアルバムの特色がもっとも出ているパートで、一番聴き応えがある。『Beggar’s Banquet』「Jumpin’ Jack Flash」「Honky Tonk Women」『Let It Bleed』という過程を経て自分たちの音を確立し、60年代後半からのロックの黄金時代を牽引してきたストーンズが、その頂点に立って「ロックとは本来こういう音楽だ」と宣言したアルバム、それが『Exile on Main St.』である。